子貢(しこう)曰わく、君子も亦(また)悪(にく)むこと有るか、と。子曰わく、悪むこと有り。人の悪を称する者を悪む。下流に居(お)りて上(かみ)を訕(そし)る者を悪 む。勇にして礼無き者を悪む。果敢にして窒(ふさが)る者を悪む、と。曰わく、賜(し)や、亦悪むこと有り。徼(もと)めて以て知と為す者を悪む。不孫(ふそん)にして以て勇と為す者を悪む。訐(あば)きて以て直(ちょく)と為す者を悪む、と。(「陽貨第十七」21)
(解説)
子貢が質問した。「君子 教養人もまた憎むことがあるのか」と。孔子はこう答えた。「憎むことがある。他者の悪事を言い触らす者、部下でありながら上司の陰口を言う者、度胸ばかりで礼儀を知らない者、思い切って行動するばかりで行き詰まりになってしまう者を憎む」と。またこうもいう。「賜君よ、憎むことがある。他者の意見を盗みとって自分の独創とする者、自分の傲慢な行動を勇敢と思っている者、他者の秘密を暴露して正直としている者、こういう連中をな」と。(論語 加地伸行)
「子貢」、 「言語には子貢」と評され、弁舌にすぐれた秀才といわれる。スマートでやや実直さに欠けるところがあったのかもしれないと桑原武夫はみる。
しかし、「賜や達なり」(「雍也第六」8)といって、孔子は子貢の見通しのよさも評価する。
「学而第一」15では、「往を告げて、来を知る者なり」ともいって褒める。
「切磋琢磨」、『詩経』の「衛風」の「淇奥(きいく)」の第一章を子貢が引用したことがうれしかったのだろう。
この詩は、衛の名君武公が人格修養につとめることを歌ったとされ、「切磋琢磨」は、 骨は「切」、象牙は「磋」、玉は「琢」、石は「磨」からなり、道徳をいやがうえにもみがくという意味である。
その子貢に、「賜や、(君子も)亦悪むこと有り」といい、それに続く言葉は、子貢への忠告のようにも聞こえる。
子貢、姓は端木、名は賜、字は子貢。孔門十哲の一人と言われる。孔子より32歳年少。そればかりでなく、利殖の道にもたけ、孔門第一の金持になったという。
「唯仁者のみ能(よ)く人を好み、能く人を悪(にく)む」(「里仁第四」3)
孔子は、好悪の情を抑圧せよとはいわない。むしろ好悪の情の存在を肯定し、これを鍛錬することが道徳なのではないか。そして人間についての真の正しい理論を体得した者のみが寸毫(すんごう)もあやまつところのない好悪を実践しうるとしたのではないかと、桑原が指摘する。
この章では、孔子はその好悪の「悪」を示し、秀才子貢への戒めとするともに、仁者への道を示したのだろうか。
「人の悪を称する者を悪む。下流に居(お)りて上(かみ)を訕(そし)る者を悪む。勇にして礼無き者を悪む。果敢にして窒(ふさが)る者を悪む」
秀才子貢ばかりでなく、ありがちな過ちでもあるような気がする。
(参考文献)