子曰わく、勇を好むも貧を疾(にく)めば、乱る。人にして不仁なる、之を疾むこと已甚(はなは)だしきときは、乱る。(「泰伯第八」10)
(解説)
「孔子の教え。勇を好む人は、己の貧しい生活に不満があるとき、反乱を起こすこととなる。相手が人の道にはずれているとして、追及が厳格すぎると、相手は逃げ場がなくなり、騒乱となる。」(論語 加地伸行)
桑原の解説
「乱」とは無秩序状態、叛乱のこと。それがどうして起こるかを、孔子が、おそらく自分の見聞にもとづいて、述べたのであるという。
勇敢な行為を好むといのは立派なことだが、そういう人が、貧しさに堪えられず、これを憎悪するようになると、必ず乱を引き起こす。また、不仁な、つまり人間性に背くような人がありとすれば、それはよくないことではあるが、その人間をあまり極端に憎悪、排斥するならば、その人は追い詰められてやはり乱を起こすことになる。
諸国を放浪しておそらく大小多くの乱を見た政治家孔子の、きわめて洞察に富む指摘であると桑原はいう。
この場合「貧」という字を私一身のこととせず、もし公の階級の貧困ととることが許されるならば、これは革命家ということにあろう。それを孔子はおそらく否定したに違いない。
孔子は階級社会を認めて、その中で仁を考えている。次の「人にして不仁なる」というのは、もちろん人民ではなく、なんらかの権力をもった貴族を指すに違いない。その人物にいかに人道を背くような行ないがあろうとも、これを他のなんらかの力が一挙に否定しようとすれば、反作用として乱がおこるというのである。
米中対立をみるようである。
「孔子学院」が新たな火種になっているようだ。
孔子も今、この世をみたらきっと悲しむことであろう。
「論語」は「仁」をなによりも大切にする。
中国政府は、「論語」を理解しているのだろうか。
(参考文献)