子曰わく、其の鬼に非(あら)ずして之を祭るは、諂(へつら)うなり。義を見て為さざるは、勇無きなり。(「為政第二」24)
(意味)
「自分たちの祖霊でない他者の霊を祭るのは、不義のものだ。逆に、義(ただ)しいものと分かっておりながら、実行しないのは勇気がないからである。」(論語 加地伸行)
桑原の解説にはこうある。
「鬼」は祖先の霊魂。子孫以外の者が、鬼を祭ってはならないのである。そうであるのに、自分の祖先の霊魂でもない、有力な他家の鬼を祭るのは、その有力者に対する諂いである。こうした祭祀に関してなすべきことと、なすべからざることを、はっきり見定めたうえ、なすべきことをせずにすますのは、勇気がない、つまり卑怯である、と解すべき。
「義を見て為さざるは、勇無き也」という言葉は、そこだけ切り離されて、日本の武士道に大きな影響を与えた。現代の私たちでさえ、この言葉が決定的瞬間に正義の行為への発動を支えているように思われる。(論語 桑原武夫)
香港のデモ活動がなかなか収まらない。社会変化の兆しが見えるときに香港市民は声をあげ、デモを繰り返して起こしてきたという。香港市民に論語の思想をみるような気がする。
その土地ごとの歴史がその土地の文化を作り出す。英国統治の長かった香港。その香港が中国に返還されたのを目撃した。中国支配を嫌い移住した人、返還を歓迎した人、様々な人々がいた。
中国に返還されて22年あまり。まだ英国統治のなごりが残っているのだろうか。
今、香港は一国二制度下にある。
有力な他家の鬼を祭るのは、その有力者に対する諂いである
香港は香港と思う人たちと、香港は中国の一部と考える人たちがいるのであろう。
「義(ただ)しいもの」は個人が何を信奉するかによって異なるのかもしれない。
義を見て為さざるは、勇無き也
香港市民の抗議は、表に裏にまだ続いている。
(参考文献)