子曰わく、過ちて改めず、是(これ)を過ちと謂う。(「衛霊公第十五」30)
(解説)
孔子の教え。「過ちを犯したのに改めない。これが真の過ちである」。(論語 加地伸行)
「人間は過ちを犯すことは避けられない。しかし多くの場合、人はあることが過ちであることに気がつかない、あるいは気がつこうとしない。気がついてもなんとか取り繕うとする」と桑原武夫はいう。
「公冶長第五」27 では、「已んぬるかな、吾未だ能(よ)く其の過ちを見て、内に自ら訟(せ)むる者を見ざるなり」と、孔子は嘆く。
孔子最愛の弟子「顔回」のことを「学を好めり。怒りを遷(うつ)さず、過ちを弐(ふたた)びせず」という。
逆説的にとらえれば、「怒り」、そうした感情が「過ち」の源泉になるのだろうか。
「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」
「学而第一」8で、孔子が言ったことである。
「過ち一般についての訓戒であって、孔子はいい損なった場合には「前言は之れに戯るる耳」「陽貨第十七」4 といいえた人である。陰湿なこだわりのまったく感じられないのが、孔子の立派さであって、ミスはミスとして素直に改めよという、これはきわめて有益な、効率の高い実践的教訓としている」と 、桑原は解説する。
「過ち」、「失敗」に対する古語や格言は多い。それだけ人が犯しやすいことなのだろう。
過ちて改めず、是を過ちと謂う
自分の威厳やプライドを守るために、人はおのれのミスを認めまた改めることを嫌う傾向が強い。こうした言葉が適切な訓戒になり、活かすことができれば、その後の人生は変わったものになっていくのだろう。
(参考文献)