子曰わく、君子は事(つか)え易く、説(よろこ)ばしめ難し。之を説ばしむるに道を以てせざれば、説ばざるなり。其の人を使うに及んでは、之を器にす。
小人は事え難く、説ばせ易し。之を説ばしむるに、道を以てせずと雖(いえど)も、説べばなり。其の人を使うに及んでは、備わらんことを求む。(「子路第十三」25)
(解説)
孔子の教え。君子 教養人が上司であると働きやすいが、喜ばせるのは難しい。もし喜ばせようと思っても、道理に従ったものでなければ、喜ばないからである。また君子が人を使うとき、適材適所に配置する。
小人 知識人が上司でありと働きにくいが、喜ばせるのは難しくない。もし喜ばせようと思えば、道理に従ったものでなくとも、喜ぶからである。また、知識人が人を使うとき、働きは万能であり結果は完全でないと承知しない。(論語 加地伸行)
「少々経験が足りないくらいで、威張るようなことはしたくない」、そう言ったのは、 「論語と算盤」の著者 渋沢栄一。「人は平等でなければならない」という。
ただ、その平等は、ケジメや礼儀、譲り合いがなければならないという。
人が活動する天地は、自由なものでなければならない。渋沢の下にいては舞台が狭いというのなら、すぐにもでも袂を分かち、自由自在に海原のような大舞台に乗り出して、思うさまやれるだけの働きぶりを見せてくれることを、私は心から願っている。 (引用:「論語と算盤」P29)
また、栄一は適材適所の重要性を説く、一方、その難しさを感じる事柄でもあるという。
適材を適所で得たいという。「適材が適所で働き、その結果として、何らかの成績をあげることは、その人が国家社会に貢献する本当の道である」という。そして、それが栄一自身が国家社会に貢献する道になるという。
栄一の言葉から、「仁者は、己立たんと欲すれば人を立つ。己達せんと欲すれば人を達す」(「雍也第六」30)を連想する。
しかし、その一方で、礼にならい行動しても、それを妬む人も現れるのが常なのかもしれない。
人が集まる組織運営の難しさ、適材適所の難しさということなのかもしれない。
人の世には様々な人が存在するということなのだろう。
(参考文献)