「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

緊張の東アジアを憂いて 【礼の用は、和を以て貴しと為す】 Vol.17

 

有子曰わく、礼の用は、和を以て貴しと為す。先王の道は斯(これ)を美と為す。小大之に由れば、行われざる所有り。和を知りて和すれども、礼を以て之を節せざれば、亦(また)行なう可(べ)からず。 (「学而第一」12)

  

(意味)

「礼式・作法の実行においては、なごやか(和)であることが大切である。古代のすぐれた人たちのありかたにおいても、なごやかであることは(斯)を善しとしている。かと言って、だれもがどの場合でも<なごやか>―つきつめれば「なあ、なあ」主義の狎れあい―ばかりだと、礼式・作法が乱れてしまう。なごやかさを活かすとしても、礼式・作法の折り目正しさを忘れず、節をよく両者がつりあわなければ、礼式・作法は崩れてしまう。論語 加地伸行

 

 孔子は、「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」(「子路第十三」23)という。

 

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 「和を以て貴しとなす」と聞くと、多くの人が聖徳太子の十七条憲法を想像するのではないであろうか。

 「和を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。」

と第一条に出てきます。聖徳太子はこの憲法で官僚たちの行動規範、現代で言えば、バリューを示したかったのだろうか。

 当時の先進国中国から伝わった儒教や仏教の影響を強く受けた聖徳太子、なぜ論語の全文を流用せずに『和を以て貴しとなす』のところだけを使ったのかという疑問が浮かぶ。

 論語で問う礼の重要性を理解しつつ、平易なことばにして伝えたかったということなのであろうか。

国際的緊張のなかで遣隋使を派遣するなど進んでいる中国の文化・制度を学び冠位十二階や十七条憲法を定めるなど大王(天皇)や王族を中心とした中央集権国家体制の確立を図った他、仏教や儒教を取り入れ神道とともに信仰し興隆につとめたとされる。(出所:Wikipedia

 

 十七条憲法が制定された当時、すでに東アジアは緊張状態にあったことは歴史で学んだ。この地域は随分と長い間、緊張が続いていることを思い出す。途上国であった日本が常に大陸側の外圧を感じていたということであろうか。一方で、多くの文化は先進国であった大陸からもたらされていた。

 論語儒教を学んできた国同士。もう少し仲良くできないかと思う。逆に、学んできたからこそ、相手の礼節が気になるのか。『礼に欠ける』と。加地の意味の通り、礼の根本には「和」がある。外交もこれに従えば、何か変化が起きると思ったりします。

 せめて民間レベルは、「和(なごみ)」の精神で、隣国と交流したいですね。

 

 儒教は、西洋思想の東漸まで、漢字文化圏をながく支配していた。(出所:論語 桑原武夫

 

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「有子」、孔子の13歳年少の弟子。有若の尊称が有子。記憶力に優れ、その容貌は孔子に似ていたため、師の没後弟子たちによって孔子の身代りとして仕えられたという。

 また、勇気があったといも言われる。攻めてきた呉軍が魯軍に夜襲をしかけたとき、魯軍は志願兵を募ったという。この志願兵には、士が700人、卒が300人にいたという。有子は、卒300人の内の一人といわれる。

 孔子亡き後、有子が孔子学団を率いることになる。

 

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(参考文献) 

論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

 
論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)