「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【詩に興り、礼に立ち、楽に成る】 Vol.195

 

 子曰わく、詩に興り、礼に立ち、楽に成る。(「泰伯第八」8)

  

(解説)

孔子の教え。詩の朗誦から始まり、礼法を基盤として立ち、音楽に完成する。」論語 加地伸行

  

  加地は修養の過程と解説する。「詩経」の朗誦して感動を覚え、礼として規範を身に着け、音楽の調和に従って均衡のとれた生き方、あり方が完成していく。

 この章も「論語」そのものを表している章のひとつのような気がする。

 

 

 

「関雎(かんしょ)は楽しみて淫せず、哀しみて傷(やぶ)らず」(「八佾第三」20)

「関雎」は、「詩経」巻頭にある「周南」の第一の詩。この詩には伴奏音楽があるという。桑原は、この章をその音楽の批評ととる徂徠や仁斎の読みに従い解説し、音楽は「中和の徳」「中庸の徳」に合致しているという。

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「韶を聞くこと三月(さんげつ)、肉の味を知らず。曰わく、図らざりき、楽を為すの斯(ここ)に至らんとは、と」(「述而第七」13)

 孔子36歳のとき、前517年、魯の内乱を避け、孔子は大国斉に亡命する。その斉の都で、はじめて「韶」の演奏を聴き、その感動は、肉体的衝撃といっていいほどのものであり、食べ物の味がわからなくなるほどだったという。

 「韶」は、舜が作ったとされる舞踊をともなう交響楽。孔子は「韶」を「美を尽くし、又た善を尽くせり」と、「八佾第三」25で賛美している。

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「子 人と歌いて善ければ、必ず之を反(かえ)さしめ、而(しか)る後に之に和す」(「述而第七」31)

 徂徠は、当時、歌をうたうさいには、このようにするのが礼法すなわちエチケットだったと解したという。 「和」ということは、「ハーモニー」や「調和」につながるところがあるのだろうか。

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 有子の言葉であるが、「礼の用は、和を以て貴しと為す。先王の道は斯(これ)を美と為す」という。徂徠が解した「述而第七」31での「和」とつながることがあるのだろうか。 この章の「和」を加地は「なごみ」と解す。

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 孔子は69歳のとき、魯国へ帰国し、「楽 正し雅頌(がしょう)各々其の所を得たり」(「子罕第九」15)と、いう。

 乱れた音楽を正することで、政治上のもの雅、祖先を祭祀するときに用いる頌もそのあるべき場所に戻すことができたという。

 音楽を正しく、完成された形に戻せば、必然礼の形も整うということであろうか。

 

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 詩に興り、礼に立ち、楽に成る

 仁斎が、音楽は聞く者の心のけがれを洗い流し、かすを融かしきって、正しい人間性に到達させる、これがもっとも美しい音楽だと「述而第七」13を解説している。

 論語の目指す音楽を考えると「楽(らく)」とか「楽しむ」ということに行きつくような気がする。

 

(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

  
論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫