「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【一を問いて三を得たり。詩を聞き礼を聞き、又君子の其の子を遠ざくるを聞けり】 Vol.433

 

陳亢(ちんこう) 伯魚(はくぎょ)に問いて曰わく、子も亦(また)異聞(いぶん)有るか、と。対(こた)えて曰わく、未(いま)だし。嘗(かつ)て独り立てり。鯉(り) 趨(こばし)りて庭を過ぐ。曰わく、詩を学びたるか、と。対えて曰わく、未だし。詩を学ばずんば、以て言う無し、と。鯉 退きて詩を学べり。他日また独り立てり。鯉 趨りて庭を過ぐ。曰わく、礼を学びたるか、と。対えて曰わく、未だし。礼を学ばずんば、以て立つ無し、と。鯉退きて礼を学べり。斯の二者を聞けり、と。 陳亢 退きて喜びて曰わく、一を問いて三を得たり。詩を聞き礼を聞き、又君子の其の子を遠ざくるを聞けり、と。(「季氏第十六」13)

 

(解説)

「陳亢が伯魚にこうたずねたことがあった。「あなたは孔子から特別の教えを受けたことがありますか」と。すると伯魚がこう答えた。「いいえ。ただ、以前のことですが庭に父が独り立っておりました。私がその傍らを取っておりましたとき、「詩を学んだか」と声をかけられ、「まだ十分には」と答えますと、「詩を学ばなければ、まともな発言はできない」と教えられました。その後、私は詩を学びました。また、ある日のこと、父が独り立っておりました。私がその傍らを通っておりましたとき、「礼を学んだか」と声をかけられ、「まだ十分には」と答えますと、「礼を学ばなければ、世に出る資格がない」と教えられました。その後、私は礼を学びました。この二つのことを教えてもらっただけです」と。陳亢は退出したあと、喜んで次のように言った。「一つたずねて、三つのことを学んだ。詩の大切さ、礼の大切さ、そして孔子はその御子を特別扱いなさらなかった、この三者を学んだ」と。」論語 加地伸行

 

 

 

「伯魚」、孔子の息子。名は鯉、字名が伯魚。孔子70歳のとき、50歳で没したとされる。あまりできが良くなくて、「不才(鈍才)」とされている。

 伯魚の子が「子思(しし)」、俊才といわれ、孔子の晩年の弟子である曾子について学び、「中庸」を著わしたとされている。

 

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「泰伯第八」8で、「詩に興り、礼に立ち、楽に成る」と孔子はいった。この基本を伯魚に伝えていたのだろうか。 

 

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「陳亢」、孔子の弟子とされる。孔子から直接学ぶ立場になかったのだろうか。

 

 

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(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

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  • 作者:加地 伸行
  • 発売日: 2009/09/10
  • メディア: 文庫
 
論語 (ちくま文庫)

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  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫