斉(せい)の景公(けいこう) 馬千駟(せんし)有り。死するの日、民 徳として称(ほ)むる無し。伯夷(はくい)、叔斉(しゅくせい)は首陽(しゅよう)の下(もと)に餓(う)う。民 今に到るまで之を称む。誠に富を以てせず、亦(また)祗(まさ)に異を以てす。其れ斯の謂いか。(「季氏第十六」12)
(解説)
「斉国の景公は、馬四千余を有するほどの富国の君主であった。しかし、その死後、だれも人格者として賞賛する者はなかった。伯夷、叔斉の兄弟は首陽山に隠れ、餓死した。人々は彼らを今に至るまで賞賛している。彼の「人に永く賞賛されるのは実に富によるものではなくて、ふつうの人と異なるすぐれた徳行に依る」という詩句は、このことを言うのであろう」。(論語 加地伸行)
「景公」、庶子が多く、世嗣(よつぎ)の太子を立てることができず、また重臣の陳氏の勢いが強く、景公の死後に、斉の国では内乱が起きるという。
「伯夷、叔斉」、殷王を臣下の諸侯である周国の君主が討とうしたとき、諫めたが聞き入れられなかった。その君主は殷王紂(ちゅう)を倒して周王朝を建て、後に武王となる。その行為を二人は恥じて、首陽山に隠れ、周王朝の下でとれた食物を食べず、山菜でしのいだが餓死したという。
「誠に富を以てせず、亦祗に異を以てす」
「顔淵第十二」10の末句にあったという説もあるようだが、この章にこの文がないと、間抜けに感ずる。
「民 今に到るまで之を称む」。
「誠に富を以てせず、亦(また)祗(まさ)に異を以てす」。
人々が褒め称えるのは、その富ではなく、それとは異なるものにある。
この章を、渋沢栄一の「道徳経済合一説」から考えてみると、経済的な成功は「徳行」なくして成立しないということなのかもしれない。加地が解した「ふつうの人と異なるすぐれた徳行に依る」とはうまい説明のような気がする。まさにオリジナリティ、独自性が人々の心をつかむのかもしれない。
しかし、いつしか「徳行」が欠落し、富ばかりに目が奪われるようになっていく。それが目的化するばかりに、いつしか「自分」ということや「独自性」の大切さが薄らいでしまったのかもしれない。
(参考文献)