「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん】 Vol.437

 

子 武城(ぶじょう)に之(ゆ)き、弦歌(げんか)の声を聞く。夫子(ふうし) 莞爾(かんじ)として笑いて曰わく、雞(にわとり)を割(さ)くに、焉(いずく)んぞ牛刀(ぎゅうとう)を用いん、と。子游(しゆう)対えて曰わく、昔者(むかし) 偃(えん)や諸(これ)を夫子に聞けり。曰わく、君子 道を学べば、則ち人を愛し、小人 道を学べば、則ち使い易し、と。子曰わく、二三子(にさんし)、偃の言、是なり。前言は之を戯(たわむ)るるのみ、と。(「陽貨第十七」3)

 

(解説)

孔子が武城を訪れたとき、家々から楽器に乗せて詩が歌われているのが聞こえた。孔子はにっこり笑いこう言った。「鶏を料理するのに、どうして牛刀を使うのか」と子游はこう答えた。「昔、私めは先生からこう学びました。君子 教養人は、道徳を身につけると人々を大切するようになる。小人 知識人も道徳が身につくと年長者の意見に従うようになる」と。孔子は言った。「弟子たちよ、偃君のことばはそのとおりだ。先ほどの私のことばは、冗談、冗談」と論語 加地伸行

 

  

子游」、姓は言、名は偃、字名が子游孔子より四十五歳年少の弟子。孔門十哲の一人。学問に秀れ、文学には子游といわれる。礼の形式を重んずる客観派の一人ともされる。子夏学派が礼の形式に流れたのに対して、子游は「礼の精神」を強調する。

 さすが孔門十哲の一人といわれだけのことがあってか、孔子子游の問答から、その優等生ぶりを垣間見るような気がする。

 

鶏(雞)を割くに焉んぞ牛刀を用いん

「小さなことを処理するために、大人物を用いたり大げさな手段を取る必要はないということ」のたとえや「適用の仕方が正しくないこと」のたとえとして用いられることわざになっている。

 

 そう言う孔子に対し、

君子 道を学べば、則ち人を愛し、小人 道を学べば、則ち使い易し

 と切り返す。

 

 「雍也第六」14では、「女人(なんじびと)を得たるか」と孔子に問われると、「澹台滅明(たんだいめつめい)という者有り」と答え、その後、孔子に「貌を以て人を取り、これを子羽に失えり」と言わしめたという。

 子羽とは、澹台滅明のこと。 dsupplying.hatenadiary.jp

 前章の賢明な人とは、ここに登場する子游のことを指すのかもしれない。

 子游が南方の強国呉、越などの防ぐ要塞である「武城」の宰になった理由がそういうところにあるのだろうか。

 また、その賢明さが故に、論語の登場回数にも影響しているのだろうか。

 

 

 人にして不仁ならば、礼を如何せん。人にして不仁ならば、楽を如何せん。(「八佾第三」3)

「礼」は規範を形に表現したものであり、音楽がそれに伴う。孔子学団の主たるカリキュラムはこの礼楽の学習だったという。

「礼節は仁の貌(表現)」であり、「歌楽は仁の和(ハーモニー)」であるという。

 

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 子太廟に入りて、事毎(ことごと)に問う。「八佾第三」15

 これを批判された孔子は、「是礼なり」といったという。

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 君子は本を務む。本立ちて道生ず。孝弟は其れ仁の本為るか(「学而第一」2)、

とは有子の言葉だが、学問に秀でる子游はこれらも身につけていたのだろうか。

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 子游は、孔子の後継に有若を、子夏、子張ともに推すが、曽子に反対されたと「孟子」にあるという。

 

(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

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  • 作者:加地 伸行
  • 発売日: 2009/09/10
  • メディア: 文庫
 
論語 (ちくま文庫)

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  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫