子曰わく、直なるかな、史魚(しぎょ)。邦に道有るときも矢の如く、邦に道無きときも矢の如し。君子なるかな、蘧伯玉(きょはくぎょく)。邦に道有れば、則ち仕え、邦に道無ければ、則ち巻いて懐にす可し、と。(「衛霊公第十五」7)
(解説)
孔子の教え。「まっすぐだな、史魚は。邦が治まっていようと、国が乱れていようと、直言すること矢の飛ぶようである。君子教養人だな、蘧伯玉は。国が治まっているときは出仕し、国が乱れているときは、その才能を隠して世を退くことができる」と。(論語 加地伸行)
「史魚」、衛国の大夫で歴史官。当時、衛の霊公は「蘧伯玉」を用いず、「弥子瑕」を重用したという。史魚は君を諫めるが聞き入れてもらえず、死に臨んでその子に命じて曰く「吾生きて君を直す能わず、死して以て礼を成すなし、屍を牖(窓)下に置け」と。霊公は史魚の葬式に参列し怪しんでその理由を問い、史魚の遺言を知る。公は過ちを悟り、子瑕の代わりに伯玉を挙用したという。(出所:Wikipedia)
孔子は「直なる哉 史魚 既に死して猶屍を以て諫む」と賞賛したという。
「蘧伯玉」、衛国の大夫。孔子が衛国に滞在のとき、蘧伯玉の家に宿していたという。その縁もあってか、互いに親しかった。
「邦に道有れば」はいくつかの章に登場する。
「泰伯第八」13では、
「天下 道有らば、則ち見(あら)われ、道無くんば則ち隠る。邦に道有りて、貧にして且つ賤(いや)しきは、恥なり。邦に道無くして、富み且つ貴きは、恥なり」
とある。
国家に道義が支配しているときは世の中に出て経綸を行ない、国家に道義が存しないときは世の中をのがれて隠遁する。これが君子の取るべき態度である。だから国家に道義が支配しているときに、その善き政治に参画せず、貧乏で賤しい地位にとどまっているのは恥ずかしいことである。道義が地をはらった国家において、その汚れた政治から利益を引き出し、金持ちになり高い地位を占めているのは恥ずかしいことである。 (出所:論語 桑原武夫)
孔子の強い決意なのだろう。dsupplying.hatenadiary.jp
「公冶長第五」21では、「甯武士」を例にする。そして、「国がきちんと治まっていたときは、賢者として働く。逆に乱れたときは、呆けて過ごして、身を全うした」といい、彼の賢者ぶりは誰でもまねることはできるかが、その呆けぶりは、なみの者ではなかなかできないと指摘する。
「憲問第十四」1では、恥とは何でしょうかと質問した「原憲」に、孔子は、「邦に道義に基づいた政治が行われているとき、出仕するのがいい。しかし、道義なき政治で乱れているのに仕えているのが、恥である」と諭す。
「憲問第十四」3で、孔子は「邦に道有れば、言を危(みが)き行ないを危(みが)く。邦に道無ければ、行ないを危くも言は孫(したが)う」という。
さて、今の世は、国に道は有るのだろうか。孔子が言うように隠遁生活を送ったほうが良いのかもしれない。
(参考文献)