子太廟に入りて、事毎(ことごと)に問う。或るひと曰わく、孰(たれ)か鄹人(すうひと)の子礼を知ると謂えるか。太廟に入りて、事毎に問う、と。子之を聞きて曰わく、是礼なり、と。(「八佾第三」15)
(意味)
「孔子は大廟での祭式において、事ごとに長上の経験者にたずねられた。これを見て、ある人がこう謗った。「あの鄹野郎、礼の先生と誰が言ったのよ。大廟ではなんでもかんでも人に聞いてたぜ」と。この話が孔子に伝わると、こうおっしゃった。「知っていても過ちのないように確かめる。それが礼なのである」と。」(論語 加地伸行)
「鄹」は、孔子の出身地。今の山東省曲阜県。「鄹」は、「陬」と同じ。「僻陬」片田舎という言葉があるように、遠くて辺鄙な土地の感じである。
「郷に入りては郷に従う」という言葉がある。その土地土地に、独自の風俗や習慣はあるもの。新しい土地に行ったなら、その土地の風俗や習慣に従うべきであろう。それは、何も場所だけのことではない。会社やプロスポーツはもちろんのこと、ある組織に属するなら、その組織のルールや規律に従うべきであろう。
新たな土地に引っ越して、例えば、その地域のごみ出し方のルールに従わなければ、無礼者とか、非常識とかの謗りを受ける。
是礼なり
知っていようがいまいが、過ちのように確かめることを心がけたい。
それが礼の第一歩となるのだから。
(参考文献)