子曰わく、関雎(かんしょ)は楽しみて淫せず、哀しみて傷(やぶ)らず。(「八佾第三」20)
(意味)
「関雎の詩句は楽しいが、とめどもないわけではない。哀しいところはあるが、行きすぎはない。」(論語 加地伸行)
桑原によると、朱子はこれを「関雎」の詩句に関するものととり、伊藤仁斎や徂徠は、この歌詞につけられた伴奏音楽の批評ととったという。その桑原自身は、「哀しみて傷らず」は、この詩には合わないという徂徠の説が正しいのではという。
加地は、「詩」や「書」には、人間の知恵が豊富にあり、学ぶべき古典とするのが当時の一般的な考えであり、孔子学派は特に重視したといい、朱子のように「詩句」に関するものとして解したのだろうか。
「雎」はみさご鳥のこと。「関」は、その鳴き声だという。
「詩経」巻頭にある「周南」の第一の詩が、この「関雎」だという。
関関たる雎鳩は 河の洲にあり 窈窕(おっとり)たる淑女は 君子の好き逑(つれあい)
参差たる行菜は 左右に之を流(もと)む 窈窕たる淑女は 寤(さ)めても寐(ね)ても之を求む
之を求むれども得ざれば 寤めても寐ねても思服す 悠なる哉 悠なる哉 輾轉反側(てんてんはんそく)す
参差たる行菜は 左右に之を采る 窈窕たる淑女は 琴瑟もて之を友とせん
参差たる行菜は 左右に之を撰(えら)ぶ 窈窕たる淑女は 鍾鼓もて之を樂しましめん
周の文王は佳(よ)き配偶者(淑女)をと求めたが、なかなか見つからず憂悶していたが、ついに見出し、夫妻が仲良く暮らしたという内容だという。
関雎は楽しみて淫せず、哀しみて傷らず
「関雎」につけられた伴奏音楽説をとる桑原は、「淫」は過の意味で、淫蕩とまではいかない。楽しくはあるが過度にはならない。哀しくはなるが心をひき裂くまでにはならない、と解する。つまり、この音楽は仁斎のいう「中和の徳」に合致しているのであるという。
さらに桑原は、以下のように仁斎の主張をもとに解説する。
楽しみと悲しみは人間に避けられないものであって、これと絶縁しようなどと考えるのは人間の本性にもとることである。この音楽は哀楽を生かしつつ節度を守り、その表現は中和を得ているというのである。これは音楽のすぐれた愛好者だった孔子の音楽批評だが、思想も文学もふくみ、ひろく中国文化一般の理想を示すものである。
仁斎はこうした音楽は聞く者の心のけがれを洗い流し、かすを融かしきって、正しい人間性に到達させる、これがもっとも美しい音楽だと解説している。(論語 桑原武夫)
渋沢栄一は「論語と算盤」で、この「関雎(かんしょ)は楽しみて淫せず、哀しみて傷(やぶ)らず」を例にして、「人間には喜怒哀楽があり、人間が世間とのつきあい方を誤るのは、様々な感情が暴発してしまうからだ」という。つまり、喜怒哀楽はバランスを取ることが大事だという。「中庸の精神」ということなのだろう。
音楽は古代より存在し発展してきた。実に長い歴史である。なぜ人はそこまでに音楽を愛するようになったのだろうか。
古代の人たちは、仁斎が指摘したように、音楽を聞いて、心のけがれを洗い流していたのだろうか。
日本を代表する世界的な指揮者小澤征爾さん。
NHKは『小澤は、とことん楽譜を読み込み作曲家が楽譜に込めた思いに真剣に向き合うこと(=勉強)を何より大切にしてきた』と紹介する。
たしか、小澤さんは『指揮者の仕事は、作曲家のその時の感情を翻訳して伝えること』と、NHKとのインタビューだったか、答えていたような記憶がある。
音楽とは感情の発露ということなのであろうか。
その音楽の中に、古代人孔子が「中和の徳」「中庸の徳」を見出したことにただ驚くばかりである。
孔子は、日々どんな感情で音楽を聴いていたのだろうか? その姿を想像してしまう。
「楽」、やはり楽しんでいたのだろうか。
(参考文献)