子曰わく、小子(しょうし)、何ぞ夫(か)の詩を学ぶ莫(な)きか。詩は以て興こす可(べ)く、以て観る可く、以て羣(ぐん)す可く、以て怨む可し。之を邇(ちか)くしては父に事(つか)え、之を遠くしては君に事え、多く鳥獣草木の名を識(し)る、と。
子 伯魚(はくぎょ)に謂(い)いて曰わく、女(なんじ) 周南(しゅうなん)、召南(しょうなん)を為(おさ)めしか。人にして周南、召南を為めざれば、其れ猶(なお)正に牆(しょう)に面して立つがごとし、と。(「陽貨第十七」8)
(解説)
孔子が言った。「お前たちよ、どうしてかの詩を学ばないでよいものか。詩を朗誦すると、感情を高め、世態を観、人々と共生し、政治を批判することができる。また、近くに引きつけては、父に事える道が、遠くに置いては、主君に事える道が分かるし、動植物など万物の名称も数多く知ることとなる。
孔子は伯魚にこう言った。「お前は周南、召南の詩を学んだか。もし、人と生まれて周南、召南の詩を学んだことがないとするならば、それは塀に向かって立ち、どうしようもできない状態と同じことぞ」と。(論語 加地伸行)
「周南、召南」とは「詩経」冒頭の篇。この中に、基本的な道徳が述べられていると孔子は言っている。
その「周南」は「関雎」と言う詩から始まる。その詩は「周の文王は佳(よ)き配偶者(淑女)をと求めたが、なかなか見つからず憂悶していたが、ついに見出し、夫妻が仲良く暮らした」との内容だという。
「周南」に続き、「召南」となる。その第一詩は「鵲巣」(カササギの巣)。鵲の巣に、鳩が居候をして、巣を守り子を作ったりしている。鵲と鳩の関係になぞらえながら、自分の家を出、他家へ嫁いでいく娘のことを歌ったものとの解釈があるという。
「詩経」は孔子によって編纂されたと言われ、「史記」孔子世家によれば、当初三千篇あった膨大な詩編を、孔子が311編(うち6編は題名のみ現存)に編成しなおしたという(参考:Wikipedia)。
「詩に興り、礼に立ち、楽に成る」。
詩の朗誦から始まり、礼法を基盤として立ち、音楽に完成すると、加地は解した。「詩経」の朗誦して感動を覚え、礼として規範を身に着け、音楽の調和に従って均衡のとれた生き方、あり方が完成していくという。
音楽は聞く者の心のけがれを洗い流し、かすを融かしきって、正しい人間性に到達させる、これがもっとも美しい音楽だと解説したのは伊藤仁斎。
それからすれば、論語は、「楽(らく)」とか「楽しむ」ということを究極の目的に置いているように思えてならない。
「関連文書」
(参考文献)