子曰わく、博(ひろ)く文を学び、之を約するに礼を以てせば、亦(また)以て畔(そむ)かざる可きか。(「顔淵第十二」15)
(解説)
孔子の教え。まず広く知識を学習し、次いでそれらを帰納してゆくときに礼に基づくならば、誤ることはない。」(論語 加地伸行)
「礼」とは、道徳の表現であると加地はいう。
「雍也第六」27 に同じ文章があり、それを「君子」とした。
顔淵は、同じ文章を用いて、孔子のことを「夫子(ふうし)循循然(じゅんじゅんぜん)として、善く人を誘う。我を博(ひろ)むるに文を以てし、我を約するに礼を以てす」と言い表した(「子罕第九」11)。
子貢は、「顔淵第十二」8 で、棘子成の君子論を批判し、「文は猶 質のごとく、質は猶 文のごとし」という。
有若は、「礼の用は、和を以て貴しと為す」といい、「礼」における「和」を説いた。
この文章は後に、聖徳太子の十七条憲法の第一条に「和を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ」に採用されることになる。
(参考文献)