棘子成(きょくしせい)曰わく、君子は質なるのみ。何ぞ文を以て為さん、と。
子貢曰わく、惜しいかな、夫子の君子を説くや、駟(し)も舌に及ばず。文は猶 質のごとく、質は猶 文のごとし。虎豹(こひょう)の鞟(かく)は猶 犬羊(けんよう)の鞟のごとし、と。(「顔淵第十二」8)
(解説)
棘子成が「君子は質実であればいいのだ。どうして文飾の必要があろうか」と言った。
子貢はこう言った。「残念だな。彼の君子論は失言だ。ひとたび口に出した言葉は、駟馬で追いかけても及ばない。文は質と同じくらい、質は文と同じくらい貴ぶべきものなのだ。虎や豹のなめし皮も、犬や羊のなめし皮も同じで区別がなくなるではないか」と。」(論語 加地伸行)
「棘子成」は、衛国の大夫。
ここでの「夫子」は棘子成のことを指す。
「駟」は四頭立ての馬車。
文は猶 質のごとく、質は猶 文のごとし
「虎や豹の毛皮の文様は、犬や羊のそれよりも華やかで美しいが、毛を抜き取り、なめし皮にすると、虎や豹のなめし皮も、犬や羊のなめし皮も同じで区別がなくなるではないか」
「雍也第六」27 で、孔子は、「君子は博く文を学び、之を約するに礼を以てせば、亦(また)以て畔(そむ)かざる可きか」といい、「君子」のあるべき姿を示した。
(参考文献)