子曰わく、君子は博く文を学び、之を約するに礼を以てせば、亦(また)以て畔(そむ)かざる可きか。(「雍也第六」27)
(解説)
「孔子の教え。教養人は、まず広く知識を学習し、次いでそれらを帰納してゆくときに礼に基づくならば、誤ることはない。」(論語 加地伸行)
「礼」とは道徳の表現であると加地は指摘する。
「礼」というと、われわれは狭義の意味の日常の挨拶をまず思い浮かべるが、このとき、相手を思いやる心がなければ、それは単なる所作であって、「礼」とは言えない。また、その「礼」がわざとらしくなると「慇懃無礼」というように失礼になる。
こう表したのは、岬龍一郎である(引用:日本人の品格)
岬の著作「日本人の品格」で、新渡戸稲造の「武士道」に記される「礼」を紹介する。
礼とは、他人に対する思いやりを目に見える形で表現することである。それは物事の道理を当然のこととして、尊重することである。したがって礼は、その最高の姿としてほとんど愛に近づく、私たちは敬虔なる気持ちをもって、「礼は寛容にして慈悲があり、礼は人を羨まず、自慢せず、思い上がらない。自分自身の利益を求めず、怒ることなく、人を疑わない」といえるだろう。 (引用:「日本人の品格」岬龍一郎)
そう礼を考えれば、なるほど、孔子がいうことがよく理解できる。
(参考文献)