「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

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【誠、実益のある徳行】商人にも「誠」はあるか ~武士道 #7

 

 武士道における「誠」とは難しいテーマです。封建体制下で、無役であっても禄を得ることができた特権階級であった武士ならではの徳目なのでしょうか。

 新渡戸稲造は著作「武士道」で、「商人道」と比較考察することで、「誠とは」を説きます。

 「正常な良心はそれに対して要求されたところまで上昇し、それに対して期待された水準の限界にまで容易く降りる

商業であれ、他のどんな生業であれ、いかなる職業もなんらかの道徳律がなくては取引は成り立たない。(引用:「武士道」新渡戸稲造 訳:奈良本辰也 P75)

 江戸期の商人も仲間内で道徳律をもっていたと新渡戸はいいます。

 また、彼らは自分たちの職業以外の人々との関係においては、その身分に与えられた世評通りの接し方をしていたといいます。しかし、その身分が故に、商業の諸制度を十分に発展させることは出来なかった。もっと自由な状況下であれば到達し得たであろうほどには発展しなかったと新渡戸は指摘します。 

 

権力と富の分離は、富の分配をより平等に近づけることに役立った

 遠くローマ帝国が滅びたのは、貴族が商業に従事することを許し、そのためにごく少数な人たちが富と権力を独占した、それが理由のひとつと新渡戸は言います。

 これを参考にすれば、江戸期の士農工商という身分制度は、それはそれで機能していた面もあるのかもしれません。商人は最下層に位置付けられ、権力から遠く離されていました。一方、権力側の武士は銭勘定と算盤を忌み嫌っていました。その身分制度下では、新渡戸がいうようにある意味での平等に近づけることは出来ていたのかもしれません。

 

実益のある徳行、それが「誠」

正直は割に合う」、欧州での高い商業道徳がこの言葉で言い表されていると、新渡戸は英国の歴史家レッキ―から学んだといいます。

正直は最善の策」、そうであれば、この徳自体が「代価」ではないかと新渡戸は指摘します。正直を守り通すことは、嘘をつくことよりも多くの「カネ」をもたらすのではないかといいます。

 商人が「正直」がカネになりこれを守るというのなら、武士はむしろ嘘にふけるのではないかと、新渡戸はいいます。

 事実、維新後、多くの武士がそのために失敗していったといいます。

 武士はそれまでの既得権を失い、今まであった禄を没収されす。その代償として「秩禄」、公債が発行され、それを自由に商取引に投資することができましたが、多くが清廉潔白、人間として守るべき道を守るのが武士とし、金に頓着しなかったようです。

 視点を変えて、みずから誇りとしていた「誠」を新しい事業に持ち込み、古い悪弊を正すという発想ができなかったといいます。 

 日本資本主義の父 渋沢栄一の「論語と算盤」

 その当時、旧幕臣であった渋沢栄一が実業界に進出していったことは、武士にとっては異端であり、斬新であったのでしょう。

 もし栄一が「誠」を武士の型通りに通していれば、慶喜とともに蟄居、清貧の中で生きることだったのかもしれません。それが武士として筋を通すことだった言えるはずです。

 

  

 しかし、栄一はそうしませんでした。 「士魂商才」を説き、実業の世界で活躍し、日本資本主義の父と言われるまでになっていきまう。

士魂商才、人の世の中で自立していくためには武士のような精神が必要であることは言うまでもない、しかし、武士のような精神ばかりに偏って「商才」がなければ、経済の上からも自滅を招くようになると、栄一はいいます。

 当時の武士の失敗が栄一の目にも映っていたのでしょうか

 道徳を扱った書物と「商才」は何の関係もないようであるけれども、「商才」というものも、もともと道徳を根底としている。不道徳やうそ、外面ばかりで中身のない「商才」など、決して本当の「商才」ではない。(中略)

このように「商才」と道徳とが離れられないものだとすれば、道徳の書である「論語」によって「商才」も養えるわけである。(引用:「論語と算盤」渋沢栄一 P17)

 栄一は、「論語」とソロバンというかけ離れたものを一致させることが、今日の急務だといい、その後に、「ソロバンは「論語」によってできている」との名台詞を残します。

 新渡戸が「武士道」を哲学・思想に昇華させたのに対し、栄一は自身の経験からその問題を見抜き、商業、実業の世界に活かしたといえそうです。

 維新前、最後の将軍慶喜の命で、フランスに渡航、そこで見た商業の世界が、彼に「商人の地位を向上させなければならない」という使命を彼に植え付けたのかもしれません。

論語の教え

 栄一はそうはいいますが、「論語」には、実は「商才」という文言は出てきません。そればかりか、利益を忌み嫌う傾向があるといわれています。

子 罕(まれ)に利を言うとき、命(めい)と与(とも)に、仁と与にす」(「子罕第九」1)との言葉があります。   

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 孔子もたまに「利」に言及するが、その場合には必ず「命」あるいは「仁」と与にした、江戸中期の儒学者徂徠は解しています。

そもそも孔子の道は、敬天と安民をもととしている。命と仁とは君子の君子たるゆえんであるから、これらのことをまれにしか言わなかったという道理はない。

安民とは天下のために利をはかることである

ただ、利には大利と小利があることを知らねばならない。一身の利益をはかるごときは小利である。君子は大利をはかるべきであって、もし道が民を利することのないものであるならば、それは道というに足らない。 (引用:「論語桑原武夫

 

 
 酒の販売事業者に対し、酒の提供停止に応じない飲食店との取り引きを行わないよう求めていた国の要請が撤回されたといいます。業界の反発があったようです。

 酒の販売事業者は、注文があれば商品を届けるのが商人だといっていました。

 東京の新型コロナの新規感染者数がまた1000人を超えました。オリンピックはいよいよ来週から始まります。

 この混沌もオリパラが終わるころには、納まっているのでしょうか。

 

「関連文書」

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「参考文献」