「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

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持続化給付金の不正受給 後を絶たず、その末路【恥じと名誉】 ~武士道 #8

 

「持続化給付金」や「家賃支援給付金」の不正受給が続いています。連日、不正受給で検挙とのニュースが流れます。税理士など士業に携わるケースもあるようです。

 経済産業省は不正受給は犯罪行為ですと注意喚起し、自主返還を呼び掛けています。これに応じ、持続化給付金では18,912件の自主返還申請があり、これまでに約14,592百万円の返納があったといいます。

 給付金や補助金を不正に受給した場合、詐欺罪が適用され、その法定刑は「10年以下の懲役」になるといいます。罰金刑でない重罪だそうです。

 経産省は実名公表を辞さない構えで、既に悪質者の実名公表を行っています。

 その多さにただ驚きます。若年層の関与も目立つといいます。一時的にせよ、多くの人々が不正に手を染めてしまう、憂慮すべき事態ではないでしょうか。

 

 

不名誉、恥じる心が人を育てる

 新渡戸稲造の「武士道」にこうあります。

「恥ずかしくないのか」「体面を汚すな」「人に笑われるぞ」、こうした言葉は過ちをおかした少年の振舞いを正す最後の切り札だった。

この名誉に訴えるやり方は子どもの心の琴線にふれたのである。なぜなら、名誉は強い家族意識と結びついているので、真の意味では出生以前から影響を受けている、といえるのである。(引用:「武士道」新渡戸稲造 訳:奈良本辰也 P81)

 遠い昔、武士の子を教育する際には、「廉恥心」という感性を大切にすることをまずはじめに教えたと新渡戸はいいます。

廉恥」、心が潔白・正直で、恥を知る心が強いこと。

 若者が追求しなければならない目標は、富や知識ではなく、名誉であると新渡戸はいいます。

名誉」、この感覚は個人の尊厳とあざやかな価値の意識を含んでいる。

 武士はこの「名誉」を重んじていた。その言葉からは、「名」「人格」「名声」が連想されるといいます。

名声」、人を人たらしめている部分。そしてそれを差し引くと残るのは獣性しかない。 

 恥となることを避け、名を勝ち取るために、いかなる貧困も甘受し、肉体的、あるいは精神的苦痛のもっとも厳しい試練に耐える。武士の子らは、若年のころに勝ち得た名誉は年が経つにつれて大きく成長することを知っていたといいます。 

寛容と忍耐こそが名誉を得る秘訣

 一方、武士は過度に「名誉」を重んじてきたともいえます。名誉のためなら死、これはその例のひとつと言えそうです。名誉も過ぎれば、ただの権威主義に陥る、そんな危険性もあります。

 その病的な行き過ぎは、寛容と忍耐を説くことではっきりと相殺されると新渡戸はいいます。家康の遺訓をその例として示します。

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず....

堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え.....おのれを責めて人をせむるな。

 

 

 むやみに争わず、あえて抗わない忍耐強さの極致に到達する、それも武士道だといいます。それは西郷南洲(隆盛)の遺訓「敬天愛人」から知ることができると新渡戸はいいます。 

道は天地自然の物にして、人はこれを行なふものなれば、天を敬するを目的とす。天は我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也

人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己を尽くして人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし

  名誉は「境遇から生じるものではなく」て、それぞれが自己の役割をまっとうに努めることにあると新渡戸はいいます。しかし、それに気づいているのはごく少数の人たちであるともいうのです。

 

論語の教え

篤く信じて学を好み、死を守りて道を善くし、危邦(きほう)には入らず、乱邦(らんぽう)には居(お)らず。

天下 道有らば、則ち見(あら)われ、道無くんば則ち隠る。邦に道有りて、貧にして且つ賤(いや)しきは、恥なり。邦に道無くして、富み且つ貴きは、恥なり」(「泰伯第八」13)との言葉があります。

 現代語に訳すると、「学問に対する信頼感を深くしつつ学問を愛し、おのれの信ずるところを守って正しい道において生命を終える。危機に瀕した国には足を踏み入れず、無秩序に陥っている国にはとどまっていない。

国家に道義が支配しているときは世の中に出て経綸を行ない、国家に道義が存しないときは世の中をのがれて隠遁する。これが君子の取るべき態度である。

だから国家に道義が支配しているときに、その善き政治に参画せず、貧乏で賤しい地位にとどまっているのは恥ずかしいことである。道義が地をはらった国家において、その汚れた政治から利益を引き出し、金持ちになり高い地位を占めているのは恥ずかしいことである」となります。

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君子は世を没するまで名の称せられざるを疾(にく)む」(「衛霊公第十五」20)との言葉もあります。

 「君子 教養人は、その一生において、何もしなかった人とされることを恥じる」との意味です。武士の名誉につながっているのでしょうか。

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虚栄心、廉恥心、慚愧

「名をあげ身を立てる」、名誉を重んじることは必要だが、それも過ぎれば、虚栄心、虚飾となってしまう。 

 自己表現するための手段である金銭がいつしか、多大な力を持つようになり、みなが血眼になって、虚栄心に駆られているのが現代なのでしょうか。自分自身のことを理解できていないがために、過剰に自己表現しようとする心情があるのでしょうか。

 テスラのCEOでもあるイーロンマスク氏は邸宅を売り、小さなプレハブ住宅に引っ越したといいます。彼自身の夢でも火星移住のための行動ではないかと言われています。

名誉は紳士に欠くべからざるものであるが、ウィルにとっての名誉とは、ただ世間の評判のことではなく、自尊心を、――従って高潔、無欠、自足を――意味した。金は軽蔑すべきものと考えていた、それは本質的なものであるはずがない。 (引用:「英国の紳士」 via 「日本人の品格」新渡戸稲造の武士道に学ぶ P185)

 自尊心ない自己表現は上辺だけで本質を伴いません。不正に手を染めてまで金銭を得たところで心の平安が乱されるばかりです。それが露呈し辱しめの誹りを受けることほどの屈辱的なことはないのかもしれません。

 過度の欲望を抑制してくれるのが、「廉恥の心」なのかもしれません。

 

  

邦に道無くして、富み且つ貴きは、恥なり

「道義が地をはらった国家において、その汚れた政治から利益を引き出し、金持ちになり高い地位を占めているのは恥ずかしいことである」

 不祥事が続いている三菱電機の杉山社長が社内メッセージで、今回の一連の不正について「言葉に尽くせないほどの衝撃を受けた」と話し、「たいへん残念で、慚愧(ざんき)にたえない」と語ったといいます。

 「慚」、仏教が教える善のひとつだといいます。

「みずからを観察することによっておのれの過失を恥じること」。「慚愧」と熟語で用いられるとWikipediaにあります。

 

 「関連文書」

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「参考文献」