新型コロナの再拡大に戸惑います。政府の対策が.....というけれど、感染防止は個々人の行動に頼らざるを得ません。これまでの学習効果があれば、それなりに抑制効果がありそうですが、第4波を超える勢いのようです。
そんな状況下、ついにオリンピックが始まります。今日、福島のソフトボールでその幕が開きます。
少々心を乱されているかもしれません。アスリートたちの活躍を楽しみにしたいのですが、コロナと世論も気になります。世論を味方にすることができない運営体制にはがっかりするばかりです。
礼、他者の平穏をかき乱ささないこと
不平不満を並べたてない不屈の勇気を訓練するのが「武士道」と新渡戸稲造は言います。また、その一方で礼の教訓もあるといいます。
それは、「自己の悲しみ、苦しみを外面に表して他人の愉快や平穏をかき乱すことがないように求められた」と言います。
沈着な振舞いや心の安らかさは、どんな種類の情熱によってもかき乱されてはならない。(引用:「武士道」新渡戸稲造 訳奈良本辰也 P109)
なんと優しい感情ではないかと新渡戸はいいます。
心の平静と克己心
「日本人の神経は張りつめていない」、新渡戸が生きた時代、そんな目で見られていたようで、新渡戸は「武士道」の中で、それに対し、反論を展開しています。
私個人として絶えざる克己が必要であることを認識し、かつ強めることを不可欠なものとしていた。
それは日本人が激しやすく、敏感な性質によるものであったからと信じている。(引用:「武士道」新渡戸稲造 訳奈良本辰也 P114)
新渡戸の生きた明治の日本人と現代ではその性質は異なっているのでしょうか。
「克己の訓練は時として度を過ごしやすい、それは思いやりの心を完全におさえることもできるし、素直な性質をゆがめたり、途方もないもの変えることもできる」と新渡戸はいいます。そして、
「偏屈を生んだり、偽善を育んだり、ときには情愛を鈍感にさせたりもできる」
と言い、そのマイナス面やそのにせものが存在することを認め、「克己」、その気高い徳目の優れた点を理解すべきといいます。
日本人の表現方法によれば、克己の理想とは、心の安らかさを保つことである。
笑顔と心の安らかさ
日本人の笑いには、なんらかの状況の激変によって心の安らかさがかき乱されたとき、心の平衡をとり戻す努力をうまく隠す役目を果たしている。
そして、その感情の安全弁は詩歌に求められたと新渡戸はいいます。
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「詩三百、一言以て之を蔽(おお)えば、曰わく、思い邪(よこしま)無し」(「為政第二」2)。
論語の教え
「発憤して食を忘れ、楽しみて以て憂いを忘れ、老いの将に至らんとするを知らず示爾(しかり)」(「述而第七」18)との言葉があります。孔子が自身の性格を表現した言葉です。
一般に孔子は感激しやすく、夢中になるところがあるが、楽しいことがあると、今までの気がかりだったことなど、どこへやら忘れてしまう。そうした活発健康なパーソナリティの持ち主だったのではと桑原武夫はみています。
「発憤」、憤りを発するとは社会とかかわること、楽しむとは個人に関わることと、孔子は暗にそう表現、示唆したのではないかと読みます。
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「日本人は激しやすい」との言葉に、なるほどそうなのかもしれないと感じます。
憤りを感じることが多い近頃、その憤りの中和剤として、笑いや楽しむということが必要なのかもしれません。その憤りを収めれば、心の平安に近づいていく。
腹を立てているばかりよりは、楽しみがあってこその人生、楽しみがあるからこそ、潤いが出てくるのでしょう。
何れにせよ、ここは孔子の教えに従い、楽しんで憂いを忘れるのがいいかなと思います。そうして克己心を養うのも悪くはないような気がします。
「関連文書」
「参考文献」