宰我(さいが)問うて曰わく、仁者は之に告ぐるに井(せい)に仁有りと曰うと雖(いえど)も、其れ之に従わんや、と。子曰わく、何為れぞ其れ然(しか)らん。君子は逝かしむ可(べ)きも、陥らしむ可からず。可きも、罔(し)う可からず、と。(「雍也第六」26)
(解説)
「宰我が質問した。「人格者は他人から井戸に人が落ちていますと告げられました時、救出に従事するのでしょうか」と。孔子はこう答えられた。「そういうものではない。君子 教養人ならば、その現場に行くべきだが、必ず井戸の中へ降りてゆくとは決めない。だまして現場に行かせることはできても、行動をそしることはできない」と。」(論語 加地伸行)
困難な章であると桑原はいう。
前半の質問句が十分に理解できないという。桑原は徂徠の解釈を示す。
井を現実の井戸とは見ず、「険難之中」だとする。つまり、困難で危険な状況の中で仁を行なわねばならぬような場合、仁者はどう身を処するか、宰我が、師匠はそうしたさいに身を挺する傾向があることをよく知っていて、孔子の身を案じて問うたのだと解するのである。おもしろい解釈に違いないが、巧妙にすぎて原義から遠ざかり過ぎると思うという。奇矯にすぎるが、やはり才子の宰我が難問をもって孔子にからんだものととっておかねばなるまいという。
新注によって読むと、人が井戸にはまった、と聞くと、それはきわめて重要なことだから、情報に多少の疑いがあろうとも、相手の言葉を信じて飛び出す。君子は猜疑心があってはならない。しかし、彼の判断力はいつも曇らない。井戸の側まで来ても、いきなり飛び込んだりはしない。生命を救うことが大切なので、泳げもしない自分が、暗いところへ飛び込んで二人とも死んでしまうのは、愚かしいことである。ロープを下すなり、壮漢をよぶなり、状況に応じた適切な処置を機敏にやるけども、軽挙盲動はしない。もちろん勇気がないからではない。
「宰我」、姓は宰、名は予、字名が子我。孔子の弟子で、礼の専門家といわれる。能弁家だったともいわれる。
宰我は昼間から女に戯れたりして、孔子に叱られた男だが、なぜこんな質問をしたのか、よくわからない。うちの先生は、こんなことを聞いたらどう答えるだろうか、好奇心といたずらから聞いてみたのだろうかと桑原は疑問を呈する。
(参考文献)