東京パラリンピックが閉幕しました。パラアスリートたちに「感動をありがとう」と、お礼をお伝えしたいです。
車いすラグビーの倉橋選手が3位決定戦でオーストラリアの巨漢のエースを一撃したシーンはとても印象的でした。人としての無限の可能性を改めて気づかせてもらいました。
選手各々の輝く個性に魅せられ、ダイバーシティ&インクルージョン、多様性を尊重し合うことの重要性を改めて思い知らされた大会でした。
昨日のマラソンを応援しようと多くの人が沿道に押し寄せたようです。よくないことなのだろうけれども、その雄姿を一目見たいとの気持ちも理解できなくもないことです。それほどに感銘した人が多かったということなのかもしれません。
ダイバーシティ&インクルージョン
「他人の気持ちを、自分と地位の等しい者ばかりでなく、下位の人々に対しても、慮ることができ、他人の自尊心を尊重できる。ほんとうの紳士のふるまいには、そうした感情がゆきわっています」と、サミュエル・スマイルズは「セルフヘルプ(自助論)」で説きます。
「優しさ、それこそ紳士である」。
どのような場合でも、深い思慮、寛容な精神、暖かい心をもって接することができるか否か、それによって「紳士」としての人格をそなえているかを判別できるといいます。
「紳士」という言葉に惑わされることなく、誰もがこうしたことを心がけるべきなのでしょう。そして、それを習慣にできた人が、ジェンダーに関わりなく、「紳士」と呼ぶにふさわしいということなのでしょうか。
「紳士」とは、礼儀やマナーに長け、気品を備えた人ということでしょうか。
論語の教え
その中に、弟子の曾子との問答で、「吾が道は一以て之を貫く」とあります。
門人たちが曾子にその意味を問うと、「夫子(孔子)の道は、忠恕のみ」と、答えます(「里仁第四」15)。
「忠」は自己に対する誠実、「恕」は他人に対する思いやり。
孔子が説く難しい道徳も、この一語に尽きるというこなのでしょうか。
君子は博く文を学び、之を約するに礼を以てせば....
「君子は博く文を学び、之を約するに礼を以てせば、亦(また)以て畔(そむ)かざる可きか」と、「雍也第六」27 にあります。
「君子は、まず広く知識を学習し、次いでそれらを帰納してゆくときに礼に基づくならば、誤ることはない」との意味です。
「礼」というと、われわれは狭義の意味の日常の挨拶をまず思い浮かべるが、このとき、相手を思いやる心がなければ、それは単なる所作であって、「礼」とは言えない。また、その「礼」がわざとらしくなると「慇懃無礼」となり、失礼になる、と岬龍一郎はいいます(参考:日本人の品格)。
また、新渡戸稲造の「武士道」で「礼」を以下のように紹介しました。
礼とは、他人に対する思いやりを目に見える形で表現することである。
それは物事の道理を当然のこととして、尊重することである。したがって礼は、その最高の姿としてほとんど愛に近づく、私たちは敬虔なる気持ちをもって、「礼は寛容にして慈悲があり、礼は人を羨まず、自慢せず、思い上がらない。自分自身の利益を求めず、怒ることなく、人を疑わない」といえるだろう。 (出所:武士道 新渡戸稲造)
論語に度々する「君子」という言葉、その「君子」を「紳士」と置き換えることは正しかろうと桑原は解説します。
「ダイバーシティ&インクルージョン」とは
今では多くの企業が、ダイバーシティ&インクルージョンの考えを企業活動に取り入れるよう試みているのでしょう。多くの企業のホームページでそれを見ることができます。
一般的に、ダイバーシティは「多様性」、インクルージョンは「受容」を意味します。ダイバーシティ&インクルージョンとは、性別、年齢、障がい、国籍などの外面の属性や、ライフスタイル、職歴、価値観などの内面の属性にかかわらず、それぞれの個を尊重し、認め合い、良いところを活かすこと、とされています。(出所:三井住友海上)
孔子が説く「忠恕」の心が、その実践において何よりも肝要な気がします。そして、その忠恕の心がすべての人々に対して目に見える「礼」として形で表現されれば、「共生社会」ダイバーシティ&インクルージョンに近づいていくのではないでしょうか。
パラリンピックをきっかけにして、こうしたことが定着させていかなければならない、そう感じる大会でした。
「参考文献」