子曰わく、君子は泰して驕らず。小人は驕りて泰ならず。(「子路第十三」26)
(解説)
孔子の教え。教養人(君子)は、堂々としているが驕り高ぶったりしない。知識人は、驕り高ぶりはするが堂々とはしていない。(論語 加地伸行)
「泰伯第八」11では、「如(たと)い周公の才の美 有るとも、使(も)し驕(たかぶ)り且つ吝(おし)めば、其の余(よ)は観るに足らざるのみ」と、才があっても、驕りがあれば、観るに足らずという。
「里仁第四」2では、「不仁者は以て久しく約に処(お)らしむ可(べ)からず。以て長く楽に処らしむ可からず」という。
不仁者は、富貴の境遇においては自制心を失って、驕りたかぶるという。
「八佾第三」22では、「管仲の器小なるかな」といい、その非礼を断じた。実力で権力を手に入れたとき、人は驕り、非礼になるということであろうか。
管仲は、どんな面持ちでであったのだろうか。虚勢を張ったところで、心にゆとりはあったのだろうか。
心のゆとり、落ち着きがあってこそ、泰然とした態度になるということなのかもしれない。
「関連文書」
(参考文献)