ウーバーイーツが、不法残留していた外国人を配達員として働くのを手助けしたとして、法人としての同社と幹部2人を、不法就労助長などによる出入国管理法違反の疑いで書類送検したそうです。
ウーバージャパン幹部らを書類送検 不法就労助長の疑い:朝日新聞デジタル
朝日新聞によれば、これまでも配達員が不法就労容疑で逮捕・書類送検される例が多数あったそうです。そればかりでなく、配達員による交通法規やマナーの違反のほか、交通事故も後を絶たないそうで、都内では警察への苦情が相次いでいるそうです。
対策が難しいのかもしれませんが、なぜ何度も同じ問題が繰り返されてしまうのでしょうか。
東京電力エナジーパートナーが、電気やガスの料金が必ず安くなるかのように、うその説明で電話勧誘していたとして、消費者庁が業務の一部停止命令を出す方針を通知したといいます。
昨年9月、東電EPが委託していた「りらいあコミュニケーションズ」による電力・ガスの電話勧誘業務で、虚偽の説明や、音声データの改ざんがあったとして、東電EPに対して業務改善勧告を出していたといいます。今回、業務停止命令に至ったということは、繰り返し同じような行為があったのでしょうか。
勧誘電話は非常に迷惑に感じます。どれが正しい情報なのか、どれが虚偽なのか、戸惑うこともあります。どうして迷惑行為が蔓延る社会になってしまったのでしょうか。
過ちて改めず、是を過ちと謂う
「過ちて改めず、是(これ)を過ちと謂う」(「衛霊公第十五」30)といいます。
読んで字のごとく、「過ちを犯したのに改めない。これが真の過ちである」との意味です。
「人間は過ちを犯すことは避けられない。しかし多くの場合、人はあることが過ちであることに気がつかない、あるいは気がつこうとしない。気がついてもなんとか取り繕うとする」と、文学者の桑原武夫はいいます。
まさに、ウーバーイーツや東電エナジーパートナーのことを言っているように感じます。
邦に道無くして、富み且つ貴きは、恥なり
「赤木ファイル」の存在が明らかになり、国が22日、このファイルを開示しました。
当時の佐川財務省理財局長の指示をうかがわせる内容もあり、組織的に改ざんを進めていた実態が明らかになったそうです。
東京電力エナジーパートナーから業務を委託された「りらいあコミュニケーションズ」もまた、顧客との通話記録を改ざんや捏造していたといいます。国も国なら、民間も民間とでもいうことなのでしょうか。
「邦に道有りて、貧にして且つ賤(いや)しきは、恥なり。邦に道無くして、富み且つ貴きは、恥なり」(「泰伯第八」13)との言葉があります。
国家に道義が支配しているときに、貧乏で賤しい地位にとどまっているのは恥ずかしいことである。道義がない国家において、その汚れた政治から利益を引き出し、金持ちになり高い地位を占めているのは恥ずかしいことであるとの意味です。
国会で答弁したどこかの局長の姿が思い出します。それを如実に示してくれたのかもしれません。とても貴い人との印象ではありません。
こうした問題を見ていると、みなで富を追求し、それが貴いことだと勘違いしているように思えてなりません。その結果、社会からは道義が失われ、迷惑行為が蔓延り、暮らし難くなりばかりです。
「りらいあコミュニケーションズ」は昨年8月、問題が起きた要因を「業績を牽引する部門、社員を無条件に評価し、行きすぎた数字優先の考え方を助長してしまった」と分析、「企業理念や倫理観より結果が優先され、隠す・ごまかす・適当にやり過ごすといった悪しき企業文化が形成された」と結論付けていたようです。
こうしたことを平気でできてしまうことにただ驚くだけです。ただ一度身についた習慣をそう容易く治すことはできるのでしょうか。
小人の過つや、必ず文(かざ)る
「小人の過つや、必ず文(かざ)る」(「子張第十九」8)といいます。
小人 知識人は過失があると、必ず言い訳をするとの意味です。
問題を起こした企業の釈明が、言い訳にならないことを祈るだけです。
己の欲せざる所は、人に施すこと勿(な)かれ
「門を出でては大賓(だいひん)を見るが如くし、民を使うには大祭(たいさい)に承(う)くるが如くす。己の欲せざる所は、人に施すこと勿(な)かれ。邦に在りては怨み無く、家に在りても怨み無し」(「顔淵第十二」2)との言葉があります。
孔子の弟子「仲弓」が「仁」を尋ねたときの言葉です。
自分が望まないことは、他人にするな、
との言葉が心に響きます。みながこうしたことを理解すれば、たとえ仕事であろうがなかろうが、迷惑行為などはなくなるような気がします。
孔子の言葉を意訳すれば、仕事をするとき、重要な賓客を接待するときのように慎んだ態度や気持ちを忘れないことだ。仕事をするとき、私心がなければ、他人からは怨まれない。私欲がなければ、誰からも怨まれない、ということでしょうか。
仕事における「倫理観」も、こうした言葉に接することで養われるのかもしれません。
其の徳を恒にせざれば、或に之に羞を承くるのみ
「人にして恒(つね)無くんば、以て巫医(ふい)を作(な)す可からず。善いかな。其の徳を恒にせざれば、或(つね)に之に羞(はじ)を承(う)くるのみ」(「子路第十三」22)といいます。
「あり方が不動でなければ、常に恥をかく」ということです。
言うこと為すことがいつも変わるようでは、それは医者でも治すことができないと孔子はいいます。
同じような過ちを繰り返すことは避けたいものです。
「己の欲せざる所は、人に施すこと勿かれ」、こうした徳目を身につけ、「倫理観」を向上していきたいと感じます。
「参考文献」