仲弓(ちゅうきゅう) 仁を問う。子曰わく、門を出でては大賓(だいひん)を見るが如くし、民を使うには大祭(たいさい)に承(う)くるが如くす。己の欲せざる所は、人に施すこと勿(な)かれ。邦に在りては怨み無く、家に在りても怨み無し、と。
仲弓が曰わく、雍(よう)、不敏と雖(いえど)も、請う 斯の語を事とせん、と。(「顔淵第十二」2)
(解説)
仲弓が「仁」とは何でしょうか、と質問した。孔子はこう教えた。「仕えるとき、重要な賓客を接待するときのような慎んだ態度や気持ちを忘れないことだ。人々を使うとき、大祭の担当官のときのような同じく慎んだ態度や気持ちであることだ。自分が望まないことは、他人にするな。君侯に仕えて私心がなければ、他人からは怨まれない。卿大夫(けいたいふ)に仕えて私欲がなければ、誰からも怨まれない」と。
仲弓はこう述べた。「私め愚か者ではありますが、その教えを生涯忘れませぬ」と。(論語 加地伸行)
「邦」は、この章では諸侯を指し、「家」は諸侯の重臣の卿大夫のこと。
「仁」は「礼」によって具体化されている。この「礼」を守ることが大切であると加地は解説する。
「仲弓」、姓は冉、名は雍、字名が仲弓。孔門十哲の一人と言われる。卑しい階級の出身であったが、人柄がよいので孔子に愛され、「雍や南面せしむ可し」(「雍也第六」1)、君主の地位を与えてもよい人物、とまで評価されていると桑原は解説する。
(参考文献)