アサヒビールが、東京オリ・パラ会場への酒類の提供を見送るそうです。アサヒビールは大会のゴールドパートナーで、競技会場や関連施設で独占的に提供、販売する契約を結んでいたといいます。
東京新聞によると、アサヒビールは「酒類提供容認の報道を受け、当社から大会組織委員会へ酒類提供を見送るように提言を行った」とコメントしたそうです。
また、今回の決定については、「新型コロナウイルス感染拡大防止の観点や、多くの飲食店での酒類提供が制限されている状況において、今回の意思決定は当然のことと考える」とも述べたといいます。
アサヒビールの広報担当者は、「コロナの感染拡大防止や得意先の飲食店での酒類提供が制限されている状況を踏まえ、会場での酒類提供見送りを提言した」と説明したそうです。
アサヒビールの決定は賢明だったのでしょうか。
良心の呵責、信用の絆
「君子 親に篤(あつ)ければ、則ち民 仁に興る。故旧 遺(わす)れざれば、則ち民偸(うす)からず」(「泰伯第八」2)といいます。
君子が近親者を大切にすれば、民は「仁」人の道に生きようとする。また、昔からの知人をいつまでも忘れなければ、民の人情は薄くならないとの意味です。
アサヒビールは目先の利益より、昔からの顧客を失わないよう、忘れられないよう、としたのでしょうか。信用はこうして築かれていくのかもしれません。
「君子は下流に居るを悪(にく)む。天下の悪 皆 帰すればなり」(「子張第十九」20)との言葉があります。
君子は悪徳者とみなされるを嫌うといいます。一度、悪徳者とみなされてしまうと、世の悪という悪は、すべてその人のしたことになってしまうとの意味があります。
コロナ禍に苦しむ飲食店に配慮せずに、オリンピック会場での酒類販売であげる利益を優先すれば、会社の業績には貢献するのかもしれせん。しかし、それでは良心の呵責に苛まれそうです。悪い噂になれば、信用の絆にひびが入ることは確実です。
「安民」とは天下のために利をはかること
「子 罕(まれ)に利と命と仁とをいう」(「子罕第九」1)との言葉があります。
孔子はまれにしか「利」に語ることがなかったようです。「利」を語るそのときは、必ず「命」や「仁」ととも話していたようです。
その孔子が求めていたのは、何よりも「安民」だったといいます。
「安民」とは天下のために利をはかることである。
人間社会にあって、「利」を無視するわけにはいきません。ただ、「利」には、大利と小利があるといいます。一身の利益ばかりをはかることは小利、大利をはかるのが君子であって、もし君子の道が民を利することのないものであるならば、それでは「道」といはいわない、そういう意味もあるようです。
社会全体の便益、そこで営む人々の利益を考えるのが「道」道徳であって、「利」を語らない道徳などないということなのかもしれません。大利を求めるからこそ、個人の利益 小利になり、逆に、小利を追い求れば大利になるということではないのでしょう。
まさにアサヒビールは大利を優先させて、会社としての「命」使命、そして「仁」を実践したのかもしれません。そして、その「命」と「仁」こそ、君子の君子たるゆえんといいます。
こうしたアサヒビールの行動も、もしかしたら、社会の声があってのことなのかもしれません。その声があったからこそ、「安民」、「安全・安心」に気づけたのかもしれません。
つきあい好きが道を開く
「益する者の三楽(さんらく)あり。損(そこ)なう者の三楽あり」(「季氏第十六」5)といいます。
有益な楽しみには3種類あり、有害な楽しみにも3種類あるといい、マナーや規範を大切にし、他者の善行や美点を褒めることを楽しみ、賢明な友人が多いことを楽しむ、これは有益であるとの教えです。しかし一方で、贅沢な楽しみ、気ままに遊びに熱中しての楽しみ、酒色に溺れての楽しみは有害であるということも諭します。
アサヒビールの選択の賢明であったように思えてなりません。
アサヒビールの大ヒット商品「スーパードライ」の生みの親は樋口廣太郎といわれます。低迷していたアサヒビールをスーパードライで救った中興の祖といわれます。
その樋口廣太郎さんは、「つきあい好きが道を開く」といいます。
樋口元社長のその言葉を活かしたのかもしれません。
「参考文献」