「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

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【新渡戸稲造の武士道】お寺とミスチルと宗教観

 

 先日、人気のない、とあるお寺でミスチルの桜井さんのお姿を見ました。チャリン、お賽銭を投げ入れる音がしました。振り返ると、ちょうど本堂の中に入っていくところでした。

 気になったので、出会った場所に戻ってみると寺の庭にある石像を見て回っていました。ご家族の方から「こんにちは」と声をかけられ、本人ははにかんで微笑んでいたようです。

 意外だなと感じたりしましたが、そのお寺の住職が桜井さんのお話していたことを思い出しました。あの美しい旋律や詩も、こうした心静まる時間があって生まれるのかなと勝手に想像していました。そのお寺では、住職が作っていた不動明王の木像が出来上がったばかりで、もしかしたら、それを見に来たのかなと思ったり。

 宗教というと、少々胡散臭さも感じるかもしれません。が、桜井さんの自然に振舞われるその姿をみて、改めて身近なものなんだなと感じました。強く信仰するとか、そういうことではなく、内なる自分と向き合う時間を与えてくれる存在なのかもしれません。このコロナ禍を思えば、なおさらそういう時間が必要なのかもしれません。

 

 

 かなり以前のことですが、マレーシアのペナン島に住んでいました。毎朝、会社に出勤しようとドアを開けると、コーランがスピーカーを通して街中に流れていました。最初の頃は少々うるさいと感じましたが、慣れてしまえば、日常の光景になります。ペナンに暮らす人々にとっても、これが日常であって、身近なところに宗教があると気づかされました。

 マレー人の友だちとゴルフにいったときのことです。運悪く、その時は断食月でした。その友達はプレー中、水も飲めなかったからでしょうか、ぼろぼろのスコアでした。日中水も飲めない断食月に何もプレーすることもないのにと思ったりしましたが、そのことで、彼が敬虔なイスラム教徒と知ることができました。

 後日、彼からリベンジの誘いがあって、再び一緒にプレーすることになりまりました。その時、彼は「事前申請してきたから、今日は水飲める」と言って、ニコニコしていました。

 イスラム教の柔軟性にびっくり、そんな制度があるのかと。断食月であっても申請し、別の日に断食すれば、飲食できると言っていました。

 その日の彼はまさに水を得た魚、圧巻のスコアに驚きました。その彼の姿をみて、イスラム教に対する偏見が取り除かれました。

 身近なところに信仰があって、宗教があると教えられたようにも感じました。

 

 

 その後、たまたま読んだ本に、コーランの所以が書かれていました。ガブリエル大天使がムハンマドに伝えたとの逸話です。ガブリエル大天使といえば、キリスト教に登場する天使なので、おやと思い、少しばかり、その歴史に興味を感じたものでした。

 そのコーランは実は文学としても一級品といわれ、美しい詩とも言われているそうです。だからこそ世界中の多くの人々が信仰しているのかもしれません。

 そんな経験があってのことか、少し宗教に興味を持つようになりました。信仰するとかではなく、その成り立ちとか、その教えの中味を知りたい、そんな感じでしょうか。

 たとえば、なぜ神社の神殿の中には鏡、ご神鏡があるのかとか、仏教のお経は何を言わんとしているのか。

 世界には様々な宗教がありますが、もしかしてその教えに共通することがあるのではなかろうかと、そうした視点で宗教を学んでみたいと思ったりします。

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 約10年前、著名なベルギーの法学者、故ラヴレー氏の家で歓待を受けて数日を過ごしたことがある。ある日の散策中、私たちの会話が宗教の話題に及んだ。

「あなたがたの学校では宗教教育というものがない、とおしゃるのですか」

とこの高名な学者がたずねられた。私が「ありません」という返事をすると、氏は驚きのあまり当然歩みを止められた。 (引用:「武士道」新渡戸稲造

 これは新渡戸稲造氏が1900年(明治33年)に発刊した「武士道」の序文の一節です。

宗教がないとは。いったいあなたがたはどのようにして子孫に道徳教育を授けるのですか」と、ラヴレー氏は述べられたそうです。

 このことがきっかけで新渡戸稲造氏は武士道を著作することになったといいます。ラヴレー氏の質問に、自分の善悪の概念を作り出した要素が武士道にあったことに気づいたそうです。

 

新渡戸氏の生まれは1862年盛岡藩で奥御勘定奉行であった新渡戸十次郎の三男として生まれたといいます。 

 その後、札幌農学校に入学し、キリスト教に入信したそうです。その札幌農学校は、「少年よ大志を抱け」で有名なウィリアム・クラーク博士が初代教頭を務めた学校です。

 クラーク博士は一期生に対して聖書を通して「倫理学」の授業を行っていたといいます。新渡戸が入学したときには既にクラーク博士は帰国していたといいますので、直接授業を受けることはなかったのでしょうが、クラーク博士の影響が色濃く残る時期に学びがあったのかもしれません。

 新渡戸は、そのキリスト教と彼が幼少期に身につけた武士道につながり、共通性を見出し「武士道」を書いたと言われます。

 

 

 新渡戸は、幼いころ学んだ「人の倫(みち)たる教訓」は学校で学んだものではなかったといいます。

 もしかして、世界の国々のように宗教が身近にあれば、「善悪」であったり、人が人として守らねばならない「人の倫(みち)」もまた自然に身につけることができたりするのでしょうか。

 その新渡戸は「我、太平洋の懸け橋とならん」を目標とし、外交の世界で活躍したといいます。国際連盟事務次長も務めたことがあったそうです。

 新渡戸稲造、最近はあまり見かけなくなったかもしれませんが、五千円札の肖像にもなった人です。