日経平均が一時3万円を回復したといいます。新政権の経済政策への期待に加え、新型コロナの新規感染者数が減少傾向にあることが理由といわれます。ブルームバーグによると、経済再開時の期待からか、空運や陸運株に買いが入ったそうです。
コロナを退治し、自粛生活を終え、その先の力強い経済への期待なのでしょうか。株価が低迷しているよりは、欧米と同程度には上昇基調にあって欲しいとの思うのが、人心というものでしょう。
「欧米では、「高いワクチン接種率」という手段をもって「経済を回す」という目的が達成されているのに対し、日本は、「高いワクチン接種率」という手段が目的化し、経済は相変わらず自粛三昧が続いている」と、Business Insiderが指摘しています。
物価など経済指標が欧米に比べて弱いといい、政治の指導力のなさを嘆いているのでしょうか。
ユーロ圏のプラス2.0%、アメリカのプラス5.3%に対して、日本はマイナス0.5%。過去6カ月平均だと、ユーロ圏のプラス1.7%、アメリカのプラス4.1%に対して、日本はマイナス0.6%。率直に言って、日本と欧米の物価の間には、同時代の先進国経済とは思えないほど大きな開きがある。(出所:Business Insider)
昨日の株価は、こうした意見の反映なのでしょうか。
思い起こせば、2013年に「物価上昇2%」の目標を掲げてから8年余り経過しました。しかし、安定的にこの目標が達成されたことはなく、様々な施策が実行されて今に至っています。
何を今さらの感が否めません。コロナ渦からだといって欧米と比較することもなく、物価を上げること自体がほぼ不可能に近い状態になっているのではないでしょうか。
繰り返される感染拡大に欧米は、今までロックダウンで対処してきました。国民に強いた経済的犠牲を、力強い経済回復で報いるという信念があるのかもしれません。これに対し、自粛要請で済ませた政策では、欧米のように政府に信念、義務感が生じないのかもしれません。それよりは、感染防止に走ることは無理からぬことであろうし、「高いワクチン接種率」が目的化されてしまうことも頷ける気がします。単純比較はできないのではないでしょうか。
「物価2%」目標はこれまで緩和的な金融政策を主にして対応してきました。これまでの結果からすれば、この目標自体が間違っていたのかもしれません。端からできそうにないことを目標にしてしまい、効果的ではない手段を用いてきたということなのかもしれません。
同じ目標を長く続け、達成されることもなく、繰り出される施策で、みながその効果を実感できなければ、信頼は揺らぎます。米国のFRBや欧州のECBのように実績を伴えば、そのトップの発言は重みをもち、その発言によって市場が反応するようになるのでしょうけれども。
「大胆なステルステーパリング(隠れた緩和縮小)は今のところ成功している」と、日本経済新聞は日銀の施策を揶揄します。
一方、元日本銀行副総裁で日興リサーチセンターの山口広秀理事長は、新型コロナ対応の財政・金融政策については、「ベクトルの向きが間違っていたとは思わない」と、ブルームバーグの取材で答えています。
財政悪化に伴う社会保障制度の持続性への不安が「消費者マインドを抑え込んだ」と山口氏は分析。
短期的な景気浮揚と長期的な財政健全化は分けて考え、「現実的な経済成長シナリオの下で財政再建をどのように実現していくのか、説得力のある形で示していく必要がある」と述べた。 (出所:ブルームバーグ)
山口氏の指摘が現実的なような気がします。将来への不安があれば、節約志向になったりすることはごく自然なことと思われます。また、それは日本人が元来持っている美徳に通じているのかもしれません。デフレというというと、何か嫌なイメージがありますが、浪費ではなく節約志向にあった物価水準だったということなのかもしれません。
論語と算盤
「空虚な理論に走ったり、中身のない繁栄をよしとするような国民では本当の成長とは無関係に終わってしまうのだ」と渋沢栄一はいいます。
かつて狂乱のバブルの時代がありました。その当時には物価上昇は2%を超えていたといいます。しかし、物価は世界的に見ても高すぎるとして、内外価格差是正、物価を下げることが、経済政策の目標の1つになっていたといいます。そうした反省があって今があります。物価是正しようとし、バブルのような過去に回帰してしまっては、意味はありません。
国の富をなす根源は何かといえば、社会の基本的な道徳を基盤とした正しい素性の富なのだ。そうでなければ、その富は完全に永続することはできない。(引用:論語と算盤 渋沢栄一 P15)
栄一の言葉を借りるなら、「論語とソロバンというかけ離れたものを一致させることが、今日の急務だ」ということではないでしょうか。
欧米に右倣えへでもなく、安易に経済理論に走ることでもないように思います。
論語の教え
「子 罕(まれ)に利を言うとき、命(めい)と与(とも)に、仁と与にす」と「子罕第九」1 にあります。
孔子もときに「利」に言及するが、その場合には必ず「命」あるいは「仁」と与にした、との意味です。
孔子の道とは、「敬天」と「安民」をもととしているといわれ、命と仁とは、君子の君子たるゆえんであるといいます。
「安民」とは天下のために利をはかることである。
ただ、「利」には大利と小利があることを知らねばならない。一身の利益をはかるごときは小利であり、君子は大利をはかるべきであって、もしその道が民を利することのないものであるならば、それは道というに足らない、と桑原武夫はその意味を解説します。
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それぞれの国に歴史があり、育んできた文化があります。西洋には西洋の文化があり、東洋には東洋の文化があります。模倣するばかりでなく、自分たちの文化に立脚して政策する方がいいのかもしれません。
栄一も「欧米諸国の日々進歩する新しいものを研究するのも必要であるが、東洋古来の古いものの中にも、捨てがたいものがあることを忘れてはならない」といいます。
このコロナ渦にあって、事情があってのことかもしれませんが、一身の利益しか考えない人もいるようです。栄一がいう「論語と算盤」を一致させることが、今求められているのではないでしょうか。