「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

55兆円にもおよぶ経済対策は必要なのだろうか ~論語と算盤 #28

 

「意義ある分配のためにはコストがかかる」と日本経済新聞がいう。

 政府の経済対策の概要が明らかになり、財政支出ベースで55.7兆円程度の規模になるそうだ。

 「いくら内容や対象を変えても、現金給付が続けば「バラマキ政策」とのそしりを受けかねない。

何より財源確保がない状態での分配政策は、持続可能ではない」。 (出所:日本経済新聞

 正論のように聞こえる。

財政再建の第一歩は「無駄」の排除 中空麻奈氏: 日本経済新聞

 政府の経済対策がどうも理解できない。ある意味では、気候変動の問題と同じなのかもしれない。有効な対策を打てずに、その負債を未来世代に残しているだけではなかろうか。

 

 

倹約とは美徳

「禹(う)は吾 間然(かんぜん)すること無し」と、孔子は「禹」について非難することがないという。

「禹」とは、堯、舜に続く天子で、夏王朝創始者。中国古代の伝説的な帝で、黄河の治水を成功に導いたといわれる。

 さらに孔子は、「飲食を菲(うす)くして、孝を鬼神に致し、衣服を悪しくして、美を黻冕(ふつべん)に致し、宮室を卑(ひく)くして、力を溝洫(こうきょく)に尽くす。禹は吾 間然すること無し」という(論語「泰伯第八」21 )。

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「禹の如く、衣食住の無益な費用を省いて、これを殖産興業や人情の美を発揚するために費すのが、真の倹約だ」と、渋沢栄一はいう。

  「禹」は倹約家の好見本ともいう。倹約とは美徳ということなのかもしれない。

 上杉鷹山など歴史に名を残す改革者といえば、その多くが「倹約」を推奨したものだが、現代の為政者にはこの感覚がないのだろうか。

 

 

贅沢になるよりはむしろケチになれ

「奢れば贅沢に流れて傲慢不遜に陥り易く、世間より反感をかう、さればとて極端に倹約するようでも、往々にして固陋に陥り、野卑なシミツタレになり下り、世間から指弾される」と栄一はいう。

 こんなことを嫌って、現代の為政者は放漫財政に陥るのだろうか。しかし、それが傲慢不遜な政治になっていたりしないだろうか。

「奢(しゃ)なれば則ち不孫(ふそん)、倹なれば則ち固。その不孫ならんよりは、寧(むし)ろ固なれ」と、論語「述而第七」35 にある。

「驕奢に流れて不遜に陥るよりは、倹に走って固陋の誹りを受ける方がマシ」と栄一は解説する。簡単にいえば、贅沢になるよりは寧ろケチになつた方がマシだとの意味だという。

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贅沢とは一体何ういふものかと申せば、無益な事に浪費をするのがそれで、吝嗇とは支出すべき処にも吝んで支出せぬのがそれだ。

無益な事には一切浪費せず、支出すべき処には欣然として支出するのが、これ奢にも流れず、倹の弊にも陥らぬ中庸の道である。(参考:「実験論語処世談」渋沢栄一記念財団

 強く意識しない限り、人は得てして贅沢に陥りしやすいものだ。「ついつい」である。禅僧のごとく悟りの境地に達しないと倹約を習慣化するのは難しいのかもしれない。

 

 

無駄を省く

「財政運営の無駄は省くべきだ」と日本経済新聞に記事を寄稿した中空麻奈氏がいう。

重症患者向けの病床を新たに確保した病院に対し、厚生労働省は1床あたり最大1950万円を補助したが、実際に受け入れたかどうかははっきりしない。受けの悪かった布マスクは、不良品に伴う検品で21億円、保管で6億円払っていることが、先ごろの会計検査院の報告で明らかになった。 (出所:日本経済新聞

 無駄を省くとは、つまり「倹約」ということなのだろうか。

 しかし、人とは不思議なもので、経済対策と称し、贅のためなら、新たな理論を打ち立てても、お金を浪費することばかりを考えるようである。

 MMT現代貨幣理論では、金利が低い間はどれだけ借金しても問題はないとし、「借金に注目する際は莫大な資産に着目せよ」との考え方もあるという。もちろん適正な借金もあるが、過ぎれば、それは弊害になるのだろう。

 こうした理論を振りかざしては、今まで効果的でない経済対策が繰り返されてきたのではなかろうか。

身体を覆った宝石や金箔をはがし、貧しい人々に分け与えた「幸福の王子」の物語は、無私の精神が読む者の心を打つ。

しかし、みすぼらしい銅像となった王子の末路は悲しく、尊い行動も持続可能ではないことを教えられる。(出所:日本経済新聞

論語の教え

「述べて作らず、信じて、古(いにしえ)を好む。窃(ひそ)かに我を老彭(ろうほう)に比(なぞら)う」と、「述而第七」1 にある。

「道には決して二つ無いものだ。先王の道とか、孔子の道とか、古い道とか、新しい道とかの別のあろう筈が無いのである」と、栄一はいう。

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 それでも、新説を打ち立てて、それによって名を売らんとすることに汲々する人たちがいる

 奇をてらったような新説に振り回されることなく、栄一も推奨する「倹約」に従ったほうがよいのではなかろうか。また、それは栄一が指摘する「中庸の精神」に根差すということなのだろう。今しきりに説かれる「持続可能性」も、そこから始まるのではなかろうか。

幸福の王子」も論語、栄一の「論語と算盤」を学ぶべきだったのかもしれない。