「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

青天を衝けの最終回と渋沢栄一の「論語と算盤」

 渋沢栄一が主人公であったNHK大河ドラマ「青天を衝け」が最終回となってしまった。江戸末期から明治経て、昭和の時代に至るまで活躍し、現代につながる礎をきた偉人の足跡を改めて振り返る機会になった。手元にある栄一関係の書物をまた読み返したりもした。

 栄一の著作である「論語と算盤」の最終章にどんなことが書かれていたかと気にかかり、改めて目を通してみれば、「仕事とは、地道に努力していけば精通していくものだが、気を緩めると荒れてしまう」、「人の常に抱くべき人道とは、何より良心と思いやりの気持ちを基盤にしている。仕事には誠実かつ一生懸命取り組まなければならない」、などとごく当たり前のことが書かれていた。

 

 

論語と算盤」の最終頁には次のようなことが書かれていた。

「正しい行為の道筋は、天にある日や月のように、いつでも輝いていて少しも陰ることがない。だから、正しい行為の道筋に沿って物事を行う者は必ず栄えるし、それに逆らって物事を行う者は必ず滅んでしまうと思う。一時の成功や失敗は、長い人生や、価値の多い生涯における、泡のようなものなのだ。ところがこの泡に憧れて、目の前の成功や失敗しか論ぜられない者が多いようでは、国家の発達や成長が思いやられる。なるべくそのような浅はかな考えは一掃して、社会を生きるうえで中身のある生活をするのがよい。(引用「論語と算盤」渋沢栄一 P220)

 今年もまた大企業での問題が明るみになった。みずほ銀行でのシステムトラブルや三菱電機の検査不正にはただ驚いた。栄一が後世に残したこうした訓戒を守ることができなかった当然の報いなのかもしれない。

 また、栄一は「現代人の多くは、ただ成功とか失敗とかいうことだけを眼中において、それよりもっと大切な「天地の道理」を見ていない。彼らは金銭や財宝を魂としてしまっている。人は、人としてなすべきことの達成を心がけ、自分の責任を果たして、それに満足していかなければならない」という。  さらに「天」とは、天地と社会との間に起こる因果応報の原則を「偶然に過ぎない」としないで、これらを天からくだされた運命だと考えて、「恭 = 礼儀正しくする」「敬 = うやまう」「信 = 信頼する」の気持ちをもってのぞんでいくという。

 

 

 SDGsにESG、ステークホルダー資本主義など、現代の正論が説かれるようになったが、なかなかそれを実践できていないということなのだろう。実践ができないからこそ、「正論」を説く必要もあるのだろう。

「社会の進歩とともに、秩序が整ってくるのは当然のことであるが、それとともに新しい活動が始めにくくなり、自然と保守に傾くようにもなる」と栄一はいう。 「もちろん軽はずみな行動は、どんな場合でも慎むべきだが、あまりにリスクばかりを気にすると決断がつかなくなり、硬直しきって、弱気一辺倒に流れがちになる。その結果、進歩や発展を邪魔する傾向が生まれてしまう。個人においても、国家の前途に関しても、これは憂うべき事態といわなければならない」ともいう。

 企業には「非財務情報」の開示も求められるようになり、栄一が抱いた危惧を改善するような動きもある。ただ、いくらルールに縛ったところで、ルールを守るという「礼」、そして栄一がいう「恭」という心がなければ、またいつかは廃れることになってしまう。 「論語と算盤」、道理と事実と利益とは必ず一致するものである。空虚な理論に走ったり、中身のない繁栄をよしとするような国民では、本当の成長とは無関係に終わってしまうと栄一はいっている。

 経済が好調だった昭和の時代、多くの経営者たちが「論語」を愛読書にあげていた。それが「論語」に興味を抱くきっかけだった。当時の経営者には、栄一の教えが息づいていたのかもしれない。今また、「論語」、道理を学び直すときなのかもしれない。