「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

いつになったらパンデミックは終焉するのだろうか、気になる変異株の市中感染 ~ 炉辺閑話 #79

 

 今年の年末年始もまた新型コロナとともになのでしょうか。折角鎮静化したかとみえた感染状況が、数は少ないものの増加に転じ、オミクロン株の市中感染の例も増えているようです。人が移動している限り、一定程度の拡大は免れそうにありません。なかなか警戒を緩めることが出来そうにありません。また注意喚起が発せられています。

コロナ対策も充分ではないかもしれませんが、それでも昨年よりはましになり、経験も増しているので、感染の波が大きくならずにやり過ごせればと願うばかりです。

 

 

 

論語の教え

「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿(いのち)ながし」と、「雍也第六」23にあります。

 人間のタイプには「知者」「仁者」の2種があって、その優劣ではなく、「楽」のあり方を説いているといわれます。孔子も水も美しい、山も美しいとし、一方に偏ったことではないといいます。 「理想的に言えば、人は絶えず動いてばかりいて水のみを楽しむ知者となるばかりでなく、また絶えず静かにしてばかりいて山のみを楽しむ仁者になるのでなく、沈厚にして機敏、機敏にして沈厚、よく静と動とを兼ね、水も山も共に合わせ楽しむ者とならねばならぬのである」と渋沢栄一が解説しています。

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 栄一は、「私の如き薄徳菲才の者は、到底一身で静と動とを兼ね、山と水とを併せ楽しむというまでになれないのである。しかし、私は山よりも水を楽しむとか、あるいは水よりも山を楽しむとかいうように、一方に偏する者とならず、山をも水をも、水をも山をも合わせ楽しむ事にしている」といい、「私には、世間の皆様の如く、山に遊びたいとか水に遊びたいとかいう如き、山水に対する執着心が無い」といいます。

 栄一がこう感じるのも年齢を重ねた結果のことなのでしょう。ただ、「如何に老齢になったからとて、今後もなお遊んで楽しむというような事は絶対致さぬ覚悟である。私は飽くまでも享楽主義を排斥するものだ」といい、栄一らしさなのでしょうか。 「私が真に楽しく感ずるのは、論語の話をするとか、養育院その他の公共事業のために奔走するとかいう事である。これが私に取って何よりの楽しみだ」といっています。

 

 一方、文学者桑原武夫は、知者が楽しむの「楽しむ」には上品な意味での快楽の語感があるといい、仁者は快楽を否定する禁欲主義者ではないのだけれども、歓楽を楽しみまで減速濾過することによって、生命を静かに永くするのであると解説します。 このご時勢からすれば、この休暇は仁者のように振舞って、これまで知っている楽しみではなく、「楽」に別の意味の楽しみを見つけるといいのかしません。

「快楽」とは、生きていることの楽しさを感じるということでしょうか。「歓楽」は、感覚を楽しませる喜びといいます。

 しかし、いつになったらパンデミックは終焉するのでしょうか。欧米でまた感染者が過去最高を更新しているといいます。ただただ新たな変異株が登場せずに収束に向かうことを願う今日この頃です。