「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

混迷する社会に増す不安、なぜ問題は解決されないのだろうか

 

 混迷する社会情勢の中に身を置かざるを得ず、自分の将来に漠然と不安を抱くようになってしまう。社会が善い方向とはいうよりは、むしろ悪い方向に引っ張られているように感じる。

 問題を解決しようとする人より、問題を起こす人が増えていないだろうか。解決策に異議を唱え、足を引っ張ってばかりでは問題解決は遅々と進まず、弊害ばかりを背負いこまなければならない。

論語に学ぶ

南宮括(なんきゅうかつ) 孔子に問うて曰わく、羿(げい)は射(しゃ)を善くし、奡(ごう)は舟を盪(うご)かせしも、倶(とも)に其の死然を得ず。禹(う)、稷(しょ く)とは躬(みずか)ら稼して天下を有(たも)つ、と。

夫子(ふうし)答えず。南宮括出(い)づ。子曰わく、君子なるかな、若(かく)のごとき人。徳を尚(たっと)ぶかな、若のごとき人、と。(「憲問第十四」5)

南宮括が孔子に「羿は弓の名人であり、奡は陸上を舟を推して進めるほどの力の持ち主だったが、ともに難に遭い、天寿を完(まっと)することができなかった。禹も稷もともに「稼」農耕に従事し、その子孫も天子となった」と言った。

 孔子は黙って聞いた。南宮括が退出すると、孔子は「彼は君子、教養人。徳を尊んでいるのであろうな、彼のような人は」と言ったという。

 

 

「羿」は、有窮(ゆうきゅう)国の君主で、夏后(かこう)王朝を奪ったが、その臣の寒浞(かんさく)に殺されたという。

「奡」は、寒浞が羿の妻を奪って産んだ子であったが、夏后王朝の子孫の少康に殺されたという。

「稷」、周国の先祖で、その子孫が周王朝を建てたという。

「禹」、舜から天子の位を譲られた、聖人と称される人

「南宮括」、姓は南宮、名は括、字名が子容。孔子の門弟の一人と言われる。孔子の兄の子を嫁にするほど、孔子の慧眼に見合った人物。 

 無道の武より、人格、徳の力が大切となのかと、南宮は暗に尋ねたといわれる。

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 単に力を用いて支配しようすれば、怨みを買うばかりである。それよりは国を富ませる稼ぐ力、基幹産業を育て、善政、仁政によれば、不安は解消され、国がよく治まるのだろう。

 

 

 ここ最近、非難、批判の声をよく耳にするようになったと感じる。それだけ常識外れの言動が増えているのだろう。

 批判されれば、つい反発したり、言い訳、御託を並べたてるようになってしまうものである。真摯に批判の声に耳を傾けるべきなのだろう。自分中心にならずに、相手の話を真剣に聞くことが求められる。それもまた「徳」ということではなかろうか。

 批判とは案外、自分の弱み、不足していることを指摘されることが多い。それを正せれば、変化となり、協調、協力も生まれるのではなかろうか。寛容が何より肝要ではなかろうか。

 

 

「参考文書」

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