子張(しちょう) 徳を崇(たか)くし惑いを弁(わか)つを問う。子曰わく、忠信を主とし、義に徒(うつ)るは、徳を崇くするなり。之を愛しては其の生を欲し、これを悪んでは其の死を欲す。既に其の生を欲して、又た其の死を欲するは、是れ惑いなり。(「顔淵第十二」10)
(解説)
子張が自分の人格を高め、迷いを分別するしかたを質問した。孔子はこう答えた。「まごころを尽くすこと(忠)、言ったことは必ず守ること(信)、正しいとあれば行うこと(義)、そのようにすれば人格を高めることができる。また、ある人を愛すると、その人が長生きできるようにと願う。ところが、その人を憎むとなれば、早く死ねばいいのにと願う。前には生きてと、今は死ねと、ころころ変わる。これが惑いというものだ」と。」(論語 加地伸行)
「子張」、姓は顓孫、名は師、字名が子張。陳の人で、孔子晩年の弟子。もっと若く秀才といわれる「礼」の専門家といわれる。「史記」に、「師や僻なり」とあるように、時として正統を離れる異説を好んだようである。
子夏と議論したとき、子夏の激しい調子を批判し、孔子のゆったりと相手の意見を聞く態度を学んでいないといい、さらに、小人の議論は、自分の意見だけが正しいと言い張り、目を怒らせ、腕をむき出しにし、早口で口から涎(よだれ)がたれ、目が赤くなり、勝を得ると喜びまわる等々と言ったという。
(参考文献)