斉の景公(けいこう) 政を孔子に問う。孔子対(こた)えて曰わく、君は君たり、臣は臣たり、父は父たり、子は子たり、と。
公曰わく、善いかな、信(まこと)に如(も)し君は君たらず、臣は臣たらず、父は父たらず、子は子たらざれば、粟(ぞく)有りと雖(いえど)も、吾得て諸(これ)を食らわんや、と。(「顔淵第十二」11)
(解説)
斉国の景公が孔子に政治とは何かと質問した。孔子はこう答えた。「主君が主君の本分を、臣下は臣下の務めを、父親は家長の責任を、子女は家族としての勉めを、それぞれ果たしていることです」と。景公は感心してこう言った。「いいことを言うぞ。本当にもし君主が君主らしくなく、臣下が臣下らしくなく、父親が父親らしくなく、子女が子女らしくなくなければ、たとい穀物があっても、それを食べて安心して暮らすことができようか」と。」(論語 加地伸行)
「景公」、斉の第26代君主。兄荘公の死のあと、崔杼に擁立されて斉公となる。崔杼の死後は晏嬰(晏平仲)を宰相とした。斉は景公のもとで覇者桓公の時代に次ぐ栄華期を迎え、孔子も斉での仕官を望んだほどといわれる。斉の繁栄は晏嬰の手腕によるところが大きく、景公自身は贅沢を好んだ暗君とされる。庶子が多く、世嗣(よつぎ)の太子を立てることができず、また重臣の陳氏の勢いが強く、景公の死後に、斉の国では内乱が起きるという。
「関連文書」
(参考文献)