「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【賃上げ税制】それでもなお、なぜ従業員の給与はあがらないのだろうか ~ 論語の教え #18

 

「新しい資本主義」、新政権の賃上げ税制に期待してもいいのでしょうか。 

 令和4年度の税制改正大綱案が政権与党でまとまり了承されたといいます。報道によれば、従業員の給与引き上げに積極的な企業を優遇し、法人税の負担軽減という「アメ」を与え、一方、消極的な企業は冷遇するという「ムチ」の施策も盛り込んだといいます。この大綱は10日に正式決定するそうです。

 はたして、思惑通りに賃上げは進むのでしょうか。

 

 

重々しい空気感

「低成長の時代にあって、企業は先行きが不確実だとして賃金を上げられない」とか、「若い世代が将来に不安を感じている」とか、もしかしたら日本全体を「不安」とか「心配」という空気が覆っているのかもしれません。

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 政府の施策だけで、この空気感が変わることはあるのでしょうか。

 長く「正解のない問い」を投げかけられ、難題に直面し続け、専門家を含め、ありったけの「知」を使い、もがき、戸惑い、それでも「正解」を得られていないのですから、企業の経営者を含め誰もが「不安」や「心配」を無意識に感じているのかもしれません。

 こうした雰囲気の中で、税制の「アメ」と「ムチ」で、経営者が「はいですか」と、政府の要請に応じるのでしょか。

眼前の富を使えず

 論語「顔淵第十二」11に、「粟有りと雖(いえど)も、吾れ得て諸(こ)れを食わんや」とあります。

「目の前に米や粟が山のように有っても、今、どうして心配なくこれを食す事が出来ようのか」、将来に不安があれば、たとえ蓄えがあっても、安心して使うことはできるものではないとの文脈をもつ一節です。

斉の景公「政」を孔子に問う。

孔子対えて曰わく、「君は君たり、臣は臣たり、父は父たり、子は子たり」。公曰わく、「善いかな、信(まこと)に如(も)し君は君たらず、臣は臣たらず、父は父たらず、子は子たらざれば、粟有りと雖(いえど)も、吾得て諸(これ)を食わんや」。(「顔淵第十二」11)

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「政事」を問う斉の景公に対し、孔子が「君が君たるの道を尽し、臣が臣たるの道を尽し、父が父たるの道を尽し、子が子たるの道を尽すのが、政事の奥義です」と答えます。すると、景公は「みながその役割をはたせば、安心して食することができる」と返答したといいます。

 

 

 斉の国の君主景公は、沢山の妾を抱え、太子も立てていなかったので、君臣父子、みなその道を失い、政を失していたといいます。孔子はこの状況から察し、国政は先ず「人倫」を明かべきと助言したのだと、渋沢栄一が解説します。

 しかし、景公は孔子の助言があったにもかかわらず、それを改めることなく、君父たるの道を尽す事をせず、依然として放逸(=勝手気ままに振舞い、常識・道徳に外れていること。生活態度に節度がないこと)に流れていために、国は乱れ、その国を奪われる事態になったといいます。

 もし景公が孔子の助言に従って、人倫を正し、国政に意を注いだならば、おそらくこのような禍を招くような事はなかったのではなかろうと、栄一はいいます。

 経営者が経営者としての責務をはたせば、従業員が低賃金で苦しむことはないのかもしれません。経営者が先行き不安から目を曇らせ、惑いがあるから、十分な蓄えがあっても、旧弊を改めることができず、その利益を株主ばかりに分配するのみで、従業員に目が向かないのかもしれません。

 株主第一主義を脱し、ステークホルダー資本主義が説かれていますが、その流れに乗れずにいるようです。税制の「アメ」と「ムチ」で、そのマインドを変えることはできるのでしょうか。

論語の教え

 弟子の子張が、「徳を崇(たか)くして、「惑い」を分別するには」と孔子に問うと、「忠信を主とし、義に徒(うつ)るは、徳を崇くするなり。之を愛しては其の生を欲し、これを悪んでは其の死を欲す。既に其の生を欲して、又た其の死を欲するは、是れ惑いなり」と孔子は返答します(「顔淵第十二」10)。

「徳を高くするには、忠信を主として――即ち自分の誠を推して人に親切を尽し、信実にして虚言を吐かぬ事を主眼とし、かつ不義を避けて義に遷(うつ)り、その及す所が義に合い過失がなければ、自ら徳を高める事が出来るものである。

また、愛憎は人情の常であるけれども、これを愛する時はその人の長生せん事を望み、これを悪む時はその人の早死することを欲するに至るものである。既にその人の生きん事を望み、また、その死せんことを欲するは、これその人の善不善を以て愛したり憎んだりするのではなく、私情を以て動かされるので、これが惑いである」。(参考:「実験論語処世談」渋沢栄一記念財団

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人に定見がない時は、一時の愛憎によって心が惑うものであるから、私情を捨て如何なる場合でも毅然たる態度を以て事に臨めば、惑いを見分ける事が出来るものである」と、栄一は解説します。

 

 

 また、この章には、詩経の小雅の部にある「誠に富を以てせず、亦祇に異るを以てす」が続いているという説があります。

人間の称美する所は富にあらずして行いにある」、「徳を修め身を慎しむことが最も必要である」と孔子は補足したのだと、栄一は言います。

流れに乗ってみる

 今月14日は「忠臣蔵赤穂浪士の討ち入りがあった日です。この忠孝の義士の行動の背景には、朱子学を批判し、幕府から処罰され赤穂藩に流された山鹿素行の影響があったといわれます。

 山鹿素行儒学者であって軍学者。山鹿流兵法の祖といわれる人です。栄一は、素行には、確乎たる安心立命の信念があり、また、経世の才に富んだ人物だったといいます。

政治家として立つに足るべき所を得ず、狷介(=自分の意志をまげず、人と和合しないこと)を持して、一軍学者として終らねばならなかつたのは、当時、既に世の中が泰平になり、朱子学によって社会の安寧秩序が保たれていたにも関わらず、これに同化せずに、朱子学に反抗したために社会より排斥せられ、朱子学派より圧迫を加えられなければならない位置に立つことを余儀なくされたからである。(参考:「実験論語処世談」渋沢栄一記念財団

 

 

 国際社会がESGやSDGsを標榜し、「株主第一主義」を廃してステークホルダー資本主義に向かい、それをもって世界が成長する中で、その流れに乗れず、日本だけが独自路線で低成長に苦しんでいるようです。栄一のいう「山鹿素行」とだぶってしまいます。

ステークホルダー資本主義」とは、企業が従業員や、取引先、顧客、地域社会といったあらゆるステークホルダーの利益に配慮すべきという考え方のことです。

具体的には、環境破壊の防止や、企業がオフィスを構える地域社会への投資、従業員への公正な賃金の支払い、労働者間の格差の是正、適切な納税などが求められている。(出所:IDEAS FOR GOOD

 欧米主体の思想なのかもしれませんが、その本質は論語をはじめとする東洋的な思想と、表現の違いはあれ、大きな差はないのかもしれません。

 世界の多くの国や企業がそうした考えで、成長路線を歩んでいるのなら、その流れに乗ってみるのも悪くはないのでしょう。山鹿素行になるべきではないように思います。