「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

対立する10万円の給付方法、なぜまとまらないのか ~ 炉辺閑話 #72

 

 18歳以下への10万円相当の給付金について、現金かクーポンなのか、その方法で国と自治体でもめているようです。もめるようなことでもないはずなのにと思いますが、不思議でなりません。

「もう勘弁して下さい!!」10万円給付で政府が迷走、自治体から悲痛な叫び | ハフポスト

 経費節減、スピードを求める自治体首長の主張の方が理がありそうですが、なぜ改めることができないのでしょうか。

「君父の過ちを現わさないのが名君」という言葉があります。官僚たちには、主たる政府の過ちを取り繕うのが役目との意識があるのでしょうか。

 

 

なぜ軌道修正できないか

「罪を隠すのは不正直のようであるけれども、父子相隠すのは真理である」と渋沢栄一はいいます。そして、「直きはその中にある」と、孔子が説いた論語の一節を紹介しています。

「葉公(しょうこう)孔子に語(つ)げて曰わく、吾が党に直躬(ちょっきゅう)なる者有り。其の父、羊を攘(ぬす)みて、子 之を証せり、と。孔子曰わく、吾が党の直なる者は是れに異なり。父は子の為めに隠し、子は父の為に隠す。直は其の内に在り」(論語子路第十三」18 )。

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「郷里に、それはもう真直ぐな者で、父親が羊を盗みましたとき、その子が父が盗んだに相違ありませぬと証言しました」と、葉公が孔子にそう言うと、孔子は「吾が郷里の真直ぐな者は、それと違いまする。父は子の悪事を隠し、子は父の悪事を隠します。真直ぐの真の意味はそこにあります」と答えたという。

孔子のこの父子の情を説いたのは、極く人情に適ったものである。子は父の為にその罪を隠し、父は子の為に隠すのは当然のことであって、子が父の悪事を訴えると云うことは、決して人情に適ったことではない。(参考:「実験論語処世談」 渋沢栄一記念財団

 しかし、父にして悪い事があったならば、人に知られないうちに、これを矯正するようにすべきものであって、決してそれを現わすべきではないといいます。

君父の過ちを現わさないのが名君

 主君をかばうことは人情としてはあって普通なことなのかもしれませんが、栄一が指摘するように、うまく軌道修正するよう導くのが本来の官僚の役目なのかもしれません。

 親子関係ばかりでなく、主従の関係においても、こうした情愛によって支えらえれることがあって然るべきなのかもしれません。

 

 

政党の悪習

 栄一は当時の政党、「政友会」や「憲政会」のことを批判し、政党間の無益な争いが、積み重なっていくと、人間社会に人情味と云うものがなくなり、これくらい殺風景なものはないといいます。

自己の利益にさえなれば、それが人情に適しないことであっても構わずに騒ぐことが多い。

ワイワイ騒いだ結果が国辱になろうが国の不利となろうが、そんなことはそっちのけにしてあえて暴露を試みようとする、訐(あば)き合いをしようとする。そして、その結果が国利に如何の影響があるかなどは、ほとんど彼等の知らない所と云ってもよい位である。(参考:「実験論語処世談」 渋沢栄一記念財団

 栄一の時代から、政党政治のその悪習は続いているということなのでしょうか。

論語の教え

「中庸の徳為る、其れ至れるかな。民 鮮(すく)なきこと久し」と、「雍也第六」29 にあります。

臨機応変千変万化」、千変万化、機に臨み変に応じ、如何ようにでも形の変ってゆくのが中庸の徳と、栄一はいいます。

孔子が中庸の徳を称揚して完全無欠、其れ至れるかな、と仰せられたのは、何事によらず中庸を得て居りさへすれば決して物に過失の起る心配が無いからの事である」と、その意味を解説します。

中庸の徳は臨機応変千変万化、到らざる無く、その時、その処、その事情の如何なる時処位にも処し、その時、処、位に最も適した道を取ってゆけるのだ。それが中庸で、そこに中庸の徳があるのだ。(参考:「実験論語処世談」 渋沢栄一記念財団

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 しかし、一方にばかり偏する人が兎角世間には多いのであると、栄一はいいます。

 首相も所信表明の冒頭で、礼記「中庸」の一節を引用したのなら、自ら偏ることなく、常に「中庸」を旨とし、「最も適した道」を標榜し、行動してもらいたいものです。そして、これまで続けてきている悪習を直すことにチャレンジして欲しいものです。

 

 

憎むべきは悪習

「子貢(しこう)曰わく、君子も亦(また)悪(にく)むこと有るか、と。子曰わく、悪むこと有り。人の悪を称する者を悪む。下流に居(お)りて上(かみ)を訕(そし)る者を悪 む。勇にして礼無き者を悪む。果敢にして窒(ふさが)る者を悪む、と。曰わく、賜(し)や、亦悪むこと有り。徼(もと)めて以て知と為す者を悪む。不孫(ふそん)にして以て勇と為す者を悪む。訐(あば)きて以て直(ちょく)と為す者を悪む、と。(「陽貨第十七」21)

「君子もまた憎むことがあるのか」と、子貢が孔子に質問すると、孔子は「憎むことがある。他者の悪事を言い触らす者、部下でありながら上司の陰口を言う者、度胸ばかりで礼儀を知らない者、思い切って行動するばかりで行き詰まりになってしまう者を憎む」と答える。

「賜(子貢)君よ、憎むことがある。他者の意見を盗みとって自分の独創とする者、自分の傲慢な行動を勇敢と思っている者、他者の秘密を暴露して正直としている者、こういう連中をな」とも答えたそうです。

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 孔子の生きた2500年もの前春秋戦国時代と何ら変わっていないのが人間の本質なのでしょうか。

明日13日からは予算委員会が始まるそうです。給付金問題で何か変化はあるのでしょうか。首相がこころよく変化を受け入れられるよう導くのが野党の務めなのかもしれません。論戦すべきはとことんやるべきかと思いますが、何も論戦だけが、国会の役割でないのでしょう。今苦しい状況におかれている子供らの手元に、一刻早く届けてもらいたいと、そう願わずにはいられません。