「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

不正が多過ぎないか、HISがGoToで不正疑惑、無謀な勇なのか ~ 論語の教え #19

 

「禍を転じて福となす」といいます。災難や不幸を逆に利用して、いい結果に結びつけることをいいますが、それとは正反対に、コロナ禍を不正に利用しているケースが発覚しているようです。「世も末」、救いようがない世、どうしようもない世と感じてしまいます。

 内閣官房参与として、官邸に再就職したといわれる石原氏が代表を務める自民党東京都第八選挙区支部が「雇用安定助成金」を受けていたといいます。法に触れないのかもしれませんが、「政」に携わる人として、どうなのでしょうか。モラルの低下ということなのでしょうか。

 

 

GoToでも、あの旅行大手が

 旅行代理店の大手「HIS」の子会社がGoToトラベルを不正に利用した疑いがあるといいます。子会社2社が関係し、少なくとも実態のない1万8000泊分以上の宿泊でGoToの申請をしていた疑いがあるそうです。国交相によれば、「GoToトラベル事業を請け負う事務局で、事実関係を調査している」といいます。事務局調査は機能するのでしょうか。

 その一方で、首相は参院本会議で、GoToトラベルの再開について「専門家の意見を踏まえ、年末年始の新型コロナウイルスの感染状況を見極めた上で検討していく」と述べたそうです。GDPギャップの凹みが大きいようなので、焦っているのでしょうか。

 誰が規範を示すことができるのでしょうか。専門家の意見を聞くというのであれば、いっそのこと「規範」の専門家の意見を伺ってみてもいいのかもしれません。

物価上昇への不安

企業物価が1980年12月以来、41年ぶりの上昇率を記録したといいます。

企業物価41年ぶり伸び、川下製品に広がる 小売り波及も: 日本経済新聞

 日銀が発表した11月の企業物価指数は前年同月比9%上昇しているそうです。価格転嫁が進まないと、企業収益を圧迫しかねないと日本経済新聞は指摘しています。

 企業は小売り価格を上げれば、売り上げが落ちるとの警戒から収益を犠牲にして、これまではそのコストを吸収してきたといいます。一方、政府は賃上げ税制で企業に賃上げを求めるようです。どこまで耐えることができるのでしょうか。

 価格転嫁が進むか否かで今後の物価の行方を占うことになるといいます。

 一方、需要を伴わない物価上昇はただ家計の負担を強めるといいます。日本経済新聞によれば、「賃金上昇が鈍いなか、物価だけが上がると購買力が削られ、景気全体に逆風になる」と専門家が指摘しているそうです。

政府が賃上げを促し、日銀は賃金と物価の持続的な上昇を狙っているが、「よいインフレ」となるにはハードルはなお多い。(出所:日本経済新聞

 将来に不安があるから消費に慎重なる傾向があると記事は指摘しています。今、こういう状況で、将来の不安は解消されることはあるのでしょうか。

 

 

この時期に、なぜ業態を変えるのか

 居酒屋などを展開するワタミがすし業態に参入するそうです。コロナ禍で苦戦している居酒屋から業態を転換するためといいます。

 会社内での飲み会が減ったているため、ビジネス街における出店は考えずに、住宅地に近い駅の駅前型を想定しているそうです。

 居酒屋店舗は減り、焼き肉店や持ち帰りのから揚げ店などが伸びているといいます。

 このコロナ禍あってのことかもしれませんし、政府支援だけをあてにせず、ウイズコロナを先取りしているということでしょうか。この時勢にあって、利用しやすいお店ができることはありがたいことです。その上、低価格で良いものを提供いただけるのであれば、なおさらのことかもしれません。ワタミは「利他の精神」があふれているのでしょうか。

渋沢栄一が説く「利他の精神」とは

「他人を益そうとする事も、自分を富まそうとする事も、結局実際に臨めば同じになる」と渋沢栄一はいいます。つまり、「利他は自富となり、自富は利他にもなるのだ」といいます。

 ただ同じ事を営むしても自ら富むことばかりが先立つと、強慾で危険な人物であるかのように世間から想われたりするものだと栄一は付け加えます。

 もしかしたら、ワタミも「自富」を強いモチベーションにしているのかもしれません。ただ、栄一のいう「利他は自富となり、自富は利他にもなる」ということをわきまえていたのでしょうか。

 

 

 苦しいときだからこそ、「智」を使って、例えば業態を変えてでも、福にしていかねばならないということかもしれません。

 そう思えば、結果に対する深い考えもなく、無計画なまま、無茶な行動に出てしまったHISのことは残念でなりません。「智」を使わずして、「勇」の使いかたを間違えたのかもしれません。

論語の教え

子 顔淵に謂いて曰わく、之を用うれば則(すなわ)ち行ない、これを舎(す)つれば則ち蔵(かく)る。唯 我と爾(なんじ)と是れ有るか、と。

子路曰わく、子 三軍を行(や)らば、則ち誰と与(とも)にせん、と。

子曰わく、暴虎馮河(ぼうこひょうが)し、死して悔ゆる無き者は、吾 与にせず。必ずや、事に臨んで懼(おそ)れ、謀(はかりごと)を好んで而(しか)して成す者たれ、と。(「述而第七」10)

dsupplying.hatenadiary.jp

「自分を任用しようという者があれば、世の中へ出て活動する。しかし、見捨てられたら隠遁する。つまり、就職活動はしないが、求められればあえて辞せずに世に出て経綸を行なう。しかし、認められない場合には、静かに隠れてわが道を楽しむ。そうした囚われのない自由の境地、そこに到達しているのは、わしとお前だけだね」と、 孔子が弟子の顔淵にむかっていったといいます。

 すると側にいた、やはり弟子の子路がやっかんで口を出し「先生が軍を指揮されますときは、だれとご一緒なさいますか」といいいます。

「虎と組打ちしたり、大河を渡渉したりして、死んでもかまうものか、などという手合いとは、一緒に仕事することはできない。私の仲間としたいのは、ことにあたって慎重に構え、十分に計画を練って成功するような人間だ」と、孔子子路をたしなめといいます。

 

 

暴虎馮河し、死して悔ゆる無き者は、吾 与にせず

 この章を引用して、渋沢栄一は「無謀の勇は愚なり」といいます。この難しい時期にあって、「暴虎馮河」、智を使わず、無謀な勇で事に当たろうとすることが多くはなっていないでしょうか。

 難しいことなのでしょうが、こういうときこそ、孔子や顔淵のように、無理せず、わが道を楽しむべきなのかもしれません。もしかしたら、それが他者の利益、利他につながるきっかけにもなっていくということなのかもしれません。