「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

あの衆議院議長に礼を尽くすべきなのか、前言をようやく撤回した傲慢な閣僚

 

 衆議院本会議の代表質問で、立憲民主党の泉代表が、細田議長に対し旧統一教会との関係について異例の質問を行ったとして、自民党が「議長に対して問いかけを行ったうえ、議長をにらみつけるような態度も複数回行っており、礼を失するものだ」と指摘、立憲民主党に抗議したといいます。

立民 泉代表の細田議長への質問に自民抗議 細田氏あす追加説明 | NHK | 旧統一教会

 共産党も、細田議長は与野党の求めに応じてさらに説明する考えを示しており、本会議で答弁を求めた泉氏の行為は適切ではなかったという認識を示したそうです。

 

 

 武家社会では、悪政、不行跡、専制に走る主君は「悪主」「暴君」とみなされ、家臣にとって憂慮すべき存在として、最後の手段として「押込」、主君を強制隠居させることがあったといいます。君臣秩序が絶対でありながらも、御家の永遠性への忠義からなされる行為だったといいます。

 国民主権の国家にあって、国民を愚弄するような態度をとる議長に対して抗議することは非礼なことなのでしょうか。

「私たちの良心を主君や国王の奴隷として売り渡せとは命じなかった」と、武士道の著者新渡戸稲造は言います。

 さらに、「主君と意見がわかれるとき、家臣のとるべき忠節の道は、あくまで主君のいうところが非であることを説くことである」といいます。また、「己の良心を主君の気まぐれや酔狂、思いつきなどの犠牲にする者に対しては、武士道の評価は極めて厳しかった」といいます。

 佞臣や寵臣を嫌い、無節操な諂い、従順かつ卑屈な下僕になることやしぐさを偽り、心の奥底では自分のことだけを考えるような愚か者を嫌ったといいます。

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伊吹元衆議院議長が「議長は、本会議で自由に発言することは慣例上できないのに、泉氏が細田議長を見上げながら質問したのはありえない」と批判し、「選挙向けのパフォーマンス」と述べたといいます。

 国民への忠義を主とし、諂いを嫌い、慣例を破ってでも、異議を申し立てることが非礼かといえば、必ずしもそうではないのかもしれません。現代社会と武家社会は異なるのかもしれませんが、三権の長としての資質を問い、不信任決議に追い込もうと腐心することを否定してはならないのでしょう。

 

 

論語に学ぶ

君に事(つか)うるに礼を尽くせば、人以て諂(へつら)いと為す。(「八佾第三」18)

 主君や長上、先輩に接するとき、あるべき当然の礼を尽くすと、人はそれをおべっかと見るのだ。世が乱れまちがっているので、人々は正しいありかたを歪めて解釈すると意味します。

dsupplying.hatenadiary.jp

 当時の魯の国では季氏ら三家が君主を抑えて横暴をはたらいていたといいます。礼法は乱れ、崩壊過程に入っていたそうです。孔子はこうしたときにあえて、上下の秩序を尊び古来の礼法を完全履行することによって君臣の正しい関係を守ろうとしたといいます。

善意の行為も悪意の誹謗を免れない

 主権者たる国民は議長に対してどんな態度を求めているのでしょうか。非礼とする自民党の主張は、善意なのでしょうか、それとも単なる誹謗なのでしょうか。

 

 

 山際経済再生相が参院本会議の代表質問で、夏の参院選の応援演説で「野党の人から来る話は何一つ聞かない」と述べた発言を撤回したそうです。「撤回の上、改めておわび申し上げる。今後、発言については慎重を期し、丁寧に発信していく」と述べたといいます。

山際経済再生相、「聞かない」発言を撤回 閣僚辞任は否定 [岸田政権]:朝日新聞デジタル

 礼を失すれば、傲慢に見えてしまいます。そんな政治が長く続いていたように思います。そうした風潮が定着していくと、善い悪いは別にしてそれが風習となり、次々と同じような人物が現れては、風紀が乱れていくのかもしれません。こうした非礼を正すためには、正しいことを行うしかないのではないでしょう。

 

「参考文書」

細田議長、旧統一教会で追加説明も再び会見なし 問われる資質 | 毎日新聞