「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【私たちのお金】変わり映えしない人たちに感じる不安、未来を託せるのか ~論語と算盤 #13

 

 自民党の総裁が変わると聞けば、やはり気になります。この先、どうなるのだろうかと、不安に近い感情がもたげます。候補者たちが各々その政策を発表しているようです。

「○○ノミクス」、聞き飽きたような気がします。もう色褪せたのではないでしょうか。

 それでも、また、どこかの候補が積極財政を唱え、物価安定目標2%を達成するまでは基礎的財政収支規律を時限的に凍結し、戦略的な財政出動を優先させると述べたといいます。これまで8年近く、物価安定目標2%を目指して、金融緩和と積極財政を続け未達だったのに、また同じ目標を掲げています。

「打ち出の小槌」で、魔法でも使えるのでしょうか。

 膨れ上がった国の借金。それでも信奉者はいるのでしょうが、将来に不安を感じずにはいられません。未来世代に禍根を残すようなことにならないでしょうか。

 

 

新自由主義的政策を転換する」、所得の増加によって分厚い中間層の復活を目指すという候補者もいます。これまでの施策で、中間層の仕事がなくなったのだから、それを改めることはいいのかもしれません。

 朝日新聞によれば、「具体策として家計の重荷とされる教育費や住居費の支援、看護師や介護福祉士、保育士らの待遇改善、大企業による厳しい原価低減要求から中小企業を守る施策などを並べた」といいます。

 ただ、「○○ノミクス」については「間違いなく経済は成長した」と評価し、3本の矢の大規模な金融緩和、機動的な財政政策、成長戦略は堅持するといいます。

 多少矛盾を感じてしまいます。基本政策がこれまでと変わらずして、中間層の復活はあるのでしょうか。

 前者も後者も、多少言葉の違いはあるのかもしれませんが、内容に大きな差は感じません。

過ぎたるは猶及ばざるが如し

「師や過ぎたり。商や及ばず、と。曰わく、然(しか)らば則ち師は愈(まさ)れるか、と。子曰わく、過ぎたるは猶及ばざるがごとし」と、論語「先進第十一」16 にあります。

 子貢という弟子が、やはり孔子の弟子である「師(子張)と商(子夏)と、どちらがすぐれていますか」と尋ねたところ、孔子は「師は多いな、商は少ないな」といい、「多いも少ないも同じことだ」と答えたといいます。

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「過」も「不及(不足)」も同格であって、中庸を失っている点では、ともに良くないという意味です。

 この二人の主張も、このようなものでしょうか。

 

 

 過剰にお金を使うこと、それも長年にわたって....

 それがいいこととは思えません。経済再生という大きな目標を掲げては、同じ政策を続け、一向に改善されず、また同じことを繰り返そうとすれば、それはもうマスターベーション、自己満足としか思えません。絶望に近い「不安」を感じてしまいます。

「漠然とした不安にさいなまれ、それを解きほぐす方法が分からずに悩む人が多いのです」とハフポストはいいます。

「日本の景気は低迷し続けているようだ」

少子高齢化が進んでいるけれど、自分が老後を迎えるころには年金制度はどうなっているのだろうか」 (出所:ハフポスト)

 こうした言葉のほうが説得力がありそうです。しかし、どうもなかなか総裁選の候補者の言葉とはうまく結びつきそうにありません。

 ハフポストは、「お金の増やしかた」を解説します。

www.huffingtonpost.jp

「無駄づかいをしないこと」「だまされないこと」など消費者としての心構えや教訓に偏ったものが多いです。親から「預貯金が一番安全だと教わった」と言う20~30代の相談者もいますが、今は銀行に預けておくだけでお金が増える時代ではありません。(出所:ハフポスト)

 そして、昔の常識は今の非常識――知識はどんどんアップデートしていく必要がありますといいます。

「お金への偏愛は諸悪の根源だ」、「富は、それを持てる人の心の気高さを示すものではない」と、サミュエル・スマイルズも「セルフヘルプ(自助論)」でそう説いたのだから無理からぬことなのかもしれません。

 

 

 ただこうした古典が説くのは、「不正な蓄財」や「浪費」を戒めるものであって、「金銭」の価値を否定していません。お金を正しく稼ぎ、使うことを説いているといってもよいでしょう。

「金銭は手段であって、目的ではない」と説いているのです。

「豊かになりたい」という願望は誰もが抱くものであってごく自然なことです。それを実現するにはお金が必要なことは自明ですし、もしお金がなくなれば心の平安を失ってしまいます。

「どれだけお金を貯めたらいいのか分からない」

という不安への対処は、ライフプランを立てることですとハフポストはいいます。それも然り、いくら蓄えても、消費ばかりで目減りしては、心の平安はありません。

 一般的に、貯蓄ばかりでなく、自然に資産が増えるようなものに投資することも勧められています。

 現在の社会制度は株式市場を容認し、その有用性が説かれています。渋沢栄一明治維新のころ、フランスに渡り、学んだのもそのことでした。

 少額を市場に投資することで、栄一が仕えた徳川昭武の生活費の一部を捻出、それに充てていました。栄一には必要以上に儲けようとの意識はなかったのかもしれません。

 

 

 みながまじめに仕事をすれば基本、会社の株価は上昇します。ただそれだけのことなのかもしれません。

 どの国の株価の代表的なインデックス(例えば米国のダウとか、S&P500など)は短期的な凸凹はあっても、ものすごく長い目でみれば、右肩上がりになっているはずです。変に儲け根性が出たり、貪欲になり人の道から外れることがなければ、痛い目にあうことはないのかもしれません。

 過剰が不及、不足を生み出すといってもいいのかもしれません。過剰な期待が不足を生んでいるのでしょう。その意味で、古典が指摘する「お金への偏愛は諸悪の根源」のような戒めが必要になるのでしょう。

論語と算盤

「(お金を)よく集めて、よく使い、社会を活発にして、経済活動の成長を促すことを、心ある人はぜひとも心がけて欲しい」と渋沢栄一は言います。

 よく使うとは、正しく支出することであって、よい事柄に使っていくことを意味するといいます。

よい医者が大手術で使い、患者の命を救った「メス」も、狂人に持たせてしまえば、人を傷つける道具になる。これと同じで、我々はお金を大切にして、よい事柄に使っていくことを忘れてはならない。(引用:「論語と算盤」渋沢栄一 P102)

 また、栄一は「お金とは大切にすべきものであり、同時に軽蔑すべきものでもある」といいます。そして、どう大切に扱うかは、すべて所有者の人格によると強調します。

「世間では、大切にするという意味を間違って解釈し、ひたすらケチに徹してしまう人がいる」、「これは本当に注意すべきことでもある」

 お金を無駄に使うことを戒め、しかし、同時に、ケチになることも注意しなければならない。よく集めることを知って、よく使うことを知らないと守銭奴になってしまうと栄一はいいます。

「使う」という意味を正しくしていかなければならないのでしょう。

 栄一は常々、「論語」道徳と「ソロバン」経済を一致させなければならないといっています。

 

【ホンダの競技用車いす開発秘話】滑らないグリップ、雨天のパラリンピックで金メダルに導く ~炉辺閑話 #31

 

 パラリンピックで使用される様々な形状の車いす。その性能次第で勝敗を左右するのかと、観戦しながらそう思っていた。その陸上競技用の車いすをホンダが作っているという。自動車レースF1に参戦している会社だからなのだろうか。少し興味を抱いた。

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(写真:ホンダ

 パラリンピックでは、この車いすを使ったスイスのマニュエラ・シャー選手が金メダル2個、銀メダル3個を獲得したという。

 ブルームバーグによると、シャー選手が雨のレースの後に、グリップが滑るという課題に「ホンダが良い素材を見つける手助けをしてくれた」と謝意を述べたという。

 ホンダによれば、そのハンドリムは、カスタマイズ対応で、ダイヤモンドコーティングを施すことができるという。また、粒度も2種類から選択できるといい、シャー選手もこうしたカスタマイズを利用したのだろうか。

 

 

 ホンダと車いすとの関わりが始まったのは、本田宗一郎障がい者の支援施設「太陽の家」を訪問した1978年のことだったという。

 このとき、宗一郎は、「どうしてだ?涙のやつが出てきてしょうがないよ」、「よし、やろう。Hondaもこういう仕事をしなきゃだめなんだ」と語ったという。

 その後、宗一郎はホンダ太陽を設立し、その会社内には、自己啓発グループ「車いすレーサー研究会」が発足したという。自分たちが乗る陸上競技車いすをつくることを目指すことになったそうだ。

 その後、この活動がホンダ社内に伝わり、深い感銘を受けた本田技術研究所の技術者が協力し、「世界一軽い陸上競技車いすを製作する」という活動につながっていったそうだ。

www.honda.co.jp

仁者は仁に安んじ、知者は仁を利す

「不仁者は以て久しく約に処(お)らしむ可(べ)からず。以て長く楽に処らしむ可からず。仁者は仁に安んじ、知者は仁を利す」と、論語「里仁第四」2 にある。

 仁者はその境遇によって左右されないということを意味するといわれ、仁者、知者を対比する。

「心なき者には貧しい生活を長くさせてはならない。逆にまた豊かな生活を長くさせてはならない。仁者、心ある者は自分の境地に満足して生き、知ある者は己の境地の価値を社会に活かす」。(出所:論語 加地伸行

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仁者は仁に安んじ、知者は仁を利す

 宗一郎の「仁」が、ホンダの知性によって、競技用車いすとして結実した、そう読んではいけないのだろうか。

 

 

10年近く開発に携わる本田技術研究所の高堂純治エキスパートエンジニアは「翔」(競技用車いす)について、「特定のアスリートだけでなく、みんなが乗ってみたくなるような見た目のかっこよさも一つのコンセプトに開発した」と話す。(出所:ブルームバーグ

www.bloomberg.co.jp

 SDGsは「誰一人取り残さない」ことを理想に掲げ、誰もが分け隔てなく当たり前に参加できる「インクルーシブな社会」を目指す。

技術は人のためにある。技術を使って障害者の方が生き生きできる世界ができれば一番いい」

と、前出 高堂エキスパートが語っているという。

「仁者は仁に安んじ、知者は仁を利す」

「利」、金儲けを意味する利益ではなく、目に見える形で、社会に役立てると解釈すべきなのだろう。

 

株価が一時3万円を回復、それでも消えぬ将来への不安 ~論語と算盤 #12

 

 日経平均が一時3万円を回復したといいます。新政権の経済政策への期待に加え、新型コロナの新規感染者数が減少傾向にあることが理由といわれます。ブルームバーグによると、経済再開時の期待からか、空運や陸運株に買いが入ったそうです。

 コロナを退治し、自粛生活を終え、その先の力強い経済への期待なのでしょうか。株価が低迷しているよりは、欧米と同程度には上昇基調にあって欲しいとの思うのが、人心というものでしょう。

 

 

「欧米では、「高いワクチン接種率」という手段をもって「経済を回す」という目的が達成されているのに対し、日本は、「高いワクチン接種率」という手段が目的化し、経済は相変わらず自粛三昧が続いている」と、Business Insiderが指摘しています。

 物価など経済指標が欧米に比べて弱いといい、政治の指導力のなさを嘆いているのでしょうか。

www.businessinsider.jp

ユーロ圏のプラス2.0%、アメリカのプラス5.3%に対して、日本はマイナス0.5%。過去6カ月平均だと、ユーロ圏のプラス1.7%、アメリカのプラス4.1%に対して、日本はマイナス0.6%。率直に言って、日本と欧米の物価の間には、同時代の先進国経済とは思えないほど大きな開きがある。(出所:Business Insider)

 昨日の株価は、こうした意見の反映なのでしょうか。

 思い起こせば、2013年に「物価上昇2%」の目標を掲げてから8年余り経過しました。しかし、安定的にこの目標が達成されたことはなく、様々な施策が実行されて今に至っています。

 何を今さらの感が否めません。コロナ渦からだといって欧米と比較することもなく、物価を上げること自体がほぼ不可能に近い状態になっているのではないでしょうか。

 

 

 繰り返される感染拡大に欧米は、今までロックダウンで対処してきました。国民に強いた経済的犠牲を、力強い経済回復で報いるという信念があるのかもしれません。これに対し、自粛要請で済ませた政策では、欧米のように政府に信念、義務感が生じないのかもしれません。それよりは、感染防止に走ることは無理からぬことであろうし、「高いワクチン接種率」が目的化されてしまうことも頷ける気がします。単純比較はできないのではないでしょうか。

「物価2%」目標はこれまで緩和的な金融政策を主にして対応してきました。これまでの結果からすれば、この目標自体が間違っていたのかもしれません。端からできそうにないことを目標にしてしまい、効果的ではない手段を用いてきたということなのかもしれません。

 同じ目標を長く続け、達成されることもなく、繰り出される施策で、みながその効果を実感できなければ、信頼は揺らぎます。米国のFRBや欧州のECBのように実績を伴えば、そのトップの発言は重みをもち、その発言によって市場が反応するようになるのでしょうけれども。

「大胆なステルステーパリング(隠れた緩和縮小)は今のところ成功している」と、日本経済新聞は日銀の施策を揶揄します。

 一方、元日本銀行副総裁で日興リサーチセンターの山口広秀理事長は、新型コロナ対応の財政・金融政策については、「ベクトルの向きが間違っていたとは思わない」と、ブルームバーグの取材で答えています。

財政悪化に伴う社会保障制度の持続性への不安が「消費者マインドを抑え込んだ」と山口氏は分析。

短期的な景気浮揚と長期的な財政健全化は分けて考え、「現実的な経済成長シナリオの下で財政再建をどのように実現していくのか、説得力のある形で示していく必要がある」と述べた。 (出所:ブルームバーグ

www.bloomberg.co.jp

  山口氏の指摘が現実的なような気がします。将来への不安があれば、節約志向になったりすることはごく自然なことと思われます。また、それは日本人が元来持っている美徳に通じているのかもしれません。デフレというというと、何か嫌なイメージがありますが、浪費ではなく節約志向にあった物価水準だったということなのかもしれません。

 

 

論語と算盤

空虚な理論に走ったり、中身のない繁栄をよしとするような国民では本当の成長とは無関係に終わってしまうのだ」と渋沢栄一はいいます。

 かつて狂乱のバブルの時代がありました。その当時には物価上昇は2%を超えていたといいます。しかし、物価は世界的に見ても高すぎるとして、内外価格差是正、物価を下げることが、経済政策の目標の1つになっていたといいます。そうした反省があって今があります。物価是正しようとし、バブルのような過去に回帰してしまっては、意味はありません。

国の富をなす根源は何かといえば、社会の基本的な道徳を基盤とした正しい素性の富なのだ。そうでなければ、その富は完全に永続することはできない。(引用:論語と算盤 渋沢栄一 P15)

 栄一の言葉を借りるなら、「論語とソロバンというかけ離れたものを一致させることが、今日の急務だ」ということではないでしょうか。

 欧米に右倣えへでもなく、安易に経済理論に走ることでもないように思います。

 

論語の教え

「子 罕(まれ)に利を言うとき、命(めい)と与(とも)に、仁と与にす」と「子罕第九」1 にあります。

孔子もときに「利」に言及するが、その場合には必ず「命」あるいは「仁」と与にした、との意味です。

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 孔子の道とは、「敬天」と「安民」をもととしているといわれ、命と仁とは、君子の君子たるゆえんであるといいます。

「安民」とは天下のために利をはかることである

ただ、「利」には大利と小利があることを知らねばならない。一身の利益をはかるごときは小利であり、君子は大利をはかるべきであって、もしその道が民を利することのないものであるならば、それは道というに足らない、と桑原武夫はその意味を解説します。

 それぞれの国に歴史があり、育んできた文化があります。西洋には西洋の文化があり、東洋には東洋の文化があります。模倣するばかりでなく、自分たちの文化に立脚して政策する方がいいのかもしれません。

 栄一も「欧米諸国の日々進歩する新しいものを研究するのも必要であるが、東洋古来の古いものの中にも、捨てがたいものがあることを忘れてはならない」といいます。

 このコロナ渦にあって、事情があってのことかもしれませんが、一身の利益しか考えない人もいるようです。栄一がいう「論語と算盤」を一致させることが、今求められているのではないでしょうか。

 

閉幕したパラリンピックが残してくれたもの「共生社会」の意義 ~セルフヘルプと論語 #11

 

 東京パラリンピックが閉幕しました。パラアスリートたちに「感動をありがとう」と、お礼をお伝えしたいです。

 車いすラグビーの倉橋選手が3位決定戦でオーストラリアの巨漢のエースを一撃したシーンはとても印象的でした。人としての無限の可能性を改めて気づかせてもらいました。

 選手各々の輝く個性に魅せられ、ダイバーシティ&インクルージョン、多様性を尊重し合うことの重要性を改めて思い知らされた大会でした。

 

 

 昨日のマラソンを応援しようと多くの人が沿道に押し寄せたようです。よくないことなのだろうけれども、その雄姿を一目見たいとの気持ちも理解できなくもないことです。それほどに感銘した人が多かったということなのかもしれません。

ダイバーシティ&インクルージョン

他人の気持ちを、自分と地位の等しい者ばかりでなく、下位の人々に対しても、慮ることができ、他人の自尊心を尊重できる。ほんとうの紳士のふるまいには、そうした感情がゆきわっています」と、サミュエル・スマイルズは「セルフヘルプ(自助論)」で説きます。

優しさ、それこそ紳士である」。

 どのような場合でも、深い思慮、寛容な精神、暖かい心をもって接することができるか否か、それによって「紳士」としての人格をそなえているかを判別できるといいます。

「紳士」という言葉に惑わされることなく、誰もがこうしたことを心がけるべきなのでしょう。そして、それを習慣にできた人が、ジェンダーに関わりなく、「紳士」と呼ぶにふさわしいということなのでしょうか。

「紳士」とは、礼儀やマナーに長け、気品を備えた人ということでしょうか。

 

論語の教え

 論語には500以上の短文が孔子の教えとして残されています。

 その中に、弟子の曾子との問答で、「吾が道は一以て之を貫く」とあります。

 門人たちが曾子にその意味を問うと、「夫子(孔子)の道は、忠恕のみ」と、答えます(「里仁第四」15)。

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 「忠」は自己に対する誠実、「恕」は他人に対する思いやり

二つ合わせて人間に対する愛情ということになるであろう。(出所:論語 桑原武夫

 孔子が説く難しい道徳も、この一語に尽きるというこなのでしょうか。

君子は博く文を学び、之を約するに礼を以てせば....

「君子は博く文を学び、之を約するに礼を以てせば、亦(また)以て畔(そむ)かざる可きか」と、「雍也第六」27 にあります。  

「君子は、まず広く知識を学習し、次いでそれらを帰納してゆくときに礼に基づくならば、誤ることはない」との意味です。

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 「礼」というと、われわれは狭義の意味の日常の挨拶をまず思い浮かべるが、このとき、相手を思いやる心がなければ、それは単なる所作であって、「礼」とは言えない。また、その「礼」がわざとらしくなると「慇懃無礼」となり、失礼になる、と岬龍一郎はいいます(参考:日本人の品格)。 

 また、新渡戸稲造の「武士道」で「礼」を以下のように紹介しました。

礼とは、他人に対する思いやりを目に見える形で表現することである

それは物事の道理を当然のこととして、尊重することである。したがって礼は、その最高の姿としてほとんど愛に近づく、私たちは敬虔なる気持ちをもって、「礼は寛容にして慈悲があり、礼は人を羨まず、自慢せず、思い上がらない。自分自身の利益を求めず、怒ることなく、人を疑わない」といえるだろう。 (出所:武士道 新渡戸稲造

 論語に度々する「君子」という言葉、その「君子」を「紳士」と置き換えることは正しかろうと桑原は解説します。

 

 

ダイバーシティ&インクルージョン」とは

 今では多くの企業が、ダイバーシティ&インクルージョンの考えを企業活動に取り入れるよう試みているのでしょう。多くの企業のホームページでそれを見ることができます。

一般的に、ダイバーシティは「多様性」、インクルージョンは「受容」を意味します。ダイバーシティ&インクルージョンとは、性別、年齢、障がい、国籍などの外面の属性や、ライフスタイル、職歴、価値観などの内面の属性にかかわらず、それぞれの個を尊重し、認め合い、良いところを活かすこと、とされています。(出所:三井住友海上

 孔子が説く「忠恕」の心が、その実践において何よりも肝要な気がします。そして、その忠恕の心がすべての人々に対して目に見える「礼」として形で表現されれば、「共生社会」ダイバーシティ&インクルージョンに近づいていくのではないでしょうか。

 パラリンピックをきっかけにして、こうしたことが定着させていかなければならない、そう感じる大会でした。

 

「参考文献」

 

お呼びでない人も、新しいリーダーに相応しい人は誰なのか ~炉辺閑話 #30

 

 国のリーダーが変わるとなるとやはり気になってしまいます。善からぬ人たちが、またしゃしゃり出てきては影響力を行使しようとしていることが気になります。過去への巻き戻しだけは避けたいと願うばかりです。

 批判されることが多い今の政権なのでしょうが、その前の政権に比べ前進したところも多々あったはずです。前の路線継承と聞くと、ぞっとします。女性候補を応援したい心情はあるものの、その信条が世の中の流れに合致しているのか、慎重に見ていくべきなのかもしれません。

 

「日本に新たな首相が誕生する見通しが株式投資を活気づけ、株価指数を30年ぶりの高値に押し上げた」とブルームバーグが報じます。

 株式市場は好反応しているようです。

河野太郎行政改革担当相が出馬の意向だと伝わり、この報道を好感した株価上昇もトレーダーは期待している。 (出所:ブルームバーグ

 ブルームバーグによれば、首相交代で、世界をリードする企業や少ないコロナ死者数など日本の強みに投資家が焦点を絞ることができるようになるとの意見があるようです。

www.bloomberg.co.jp

「外国人投資家は間違いなく河野氏を好む。英語を話し、米国の大学で学んだ。これが大きくプラスに働いている」とCLSA証券のストラテジスト、ニコラス・スミス氏はブルームバーグテレビジョンで発言。「河野氏の時代が来たと思う」と述べた。 (出所:ブルームバーグ

 一方、「そもそも、われわれが直面している問題、世界が直面している問題は、コロナという誰がやっても難しい問題のはずだ」、「菅氏はすごく人気がないが、では代えたからよくなるのかというとそんな問題ではない」と、投資会社の日本人幹部は語ったという。

 期待と現実は異なるのかもしれません。しかし、過去に舞い戻ってはならないはずです。

 

論語の教え

「羣居(ぐんきょ)すること終日、言 義に及ばず、好んで小慧(しょうけい)を行う。難(かた)いかな」と、「衛霊公第十五」17 にあります。

 総裁の椅子をとることばかりに終始しているようでは、先がしれているということなのかもしれません。

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 経済論議も大切なのでしょうが、やはり今ある危機を真剣に考え、そこからの脱却を図ることができる人がリーダーであるべきなのでしょう。

 長引きそうなコロナ渦に、気候危機。そこから抜け出る道筋に、経済との関係性を丁寧に説明できる人が良いのではないでしょうか。経済ばかりを優先して、歪んだ社会になるのはもうたくさんです。そこに舞い戻るようであれば希望はありません。

 先日の横浜市長選で選ばれた山中新市長が、カジノを含むIR 統合型リゾート施設誘致は「撤回に必要な作業を今洗い出している。速やかにスケジュールを出したい」と話し、新型コロナウイルス対策は「具体的な対策を早期に示したい」と、東京新聞のインタビューで述べています。

www.tokyo-np.co.jp

 また、前市長が強い意欲を示してきたバレエやオペラの公演を主体とする新たな劇場の整備について「中止する」と明言し、民意を市政に反映させるため、デジタルを活用して市民の意見を聞く「デジタルプラットフォーム」の導入を検討する考えを示したそうです。

 文化の発展に寄与することなのかもしれませんが、今この時期に600億円を超える金額を投じることには疑問符がつくのかもしれません。東京新聞によれば、多額の総事業費に市民から批判の声が上がっていたといいます。地方選挙の結果かもしれませんが、ここにも民意は反映されているのではないでしょうか。

「忖度」とか、公の場で自身に関係する人を優遇したり、説明責任を果たさない、そうしたことをもう断たなくてはならないはずです。徳に背くことがなく、倫理ある社会をとり戻すときが来たと思うばかりです。

コミュニケーション不足、人心離反、こだわり過ぎた人事 ~炉辺閑話 #29

 

 人事は人々の関心事。それなのに、いつも「人事に関することなので....」と煙に巻き、露骨に嫌な顔をする。それでは公明正大からかけ離れ、裏があるのではと勘繰り、疑念が生じるものです。

 説明責任をはたしていませんと自らレッテルを貼ったようなものです。

 密室、秘密主義、不正隠蔽.....、人は勝手に想像を膨らせ、それがその人の人物像とみてしまい、思考に固着させていくのかもしれません。 

 人事による目に見える結果があれば、その疑念も解消するのかもしれませんが、そうでなければ、ますます深まっていくばかりです。

 

 人事は権力の象徴のようなもの.....

 人事を振りかざすことで求心力を回復しようと試みたのが間違いなのでしょう。

 よりオープンに、よりフラットにと望む人々がいるのなら、その強引さに嫌気がさし、さらに離反していくものかもしれません。

www.bloomberg.co.jp

 自ら貼ったレッテルで信用を失ったといえるのかもしれません。信用を失えば、もうコミュニケーションは成立しません。

 アナリストが「コミュニケーションをしっかりすることができなかった」、「国民を安心させるシナリオの提示に欠けていた」と指摘したといいますが、その通りなのでしょう。

 

 知りたかったのは本音で、建前ではありません。その裏に何かあるのではないかと、疑われれば、もうお仕舞ということなのでしょう。失った信用を回復するには膨大な時間が必要になります。それを悟ったのであれば、賢明な選択ような気がします。

論語の教え

人として信無くんば、その可なるを知らざるなり。大車輗(げい)無く、小車軏(げつ)無くんば、其れ何を以て之を行らんや」と、「為政第二」22にあります。

  大車に横木がなく、小車にくびきがなければ、動かすことができないように、人として信を失えば、人との結びつきがなくなり、どうすることもできなくなるという意味です。

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 また、「衛霊公第十五」33には、「知 之に及ぶも、仁 之を守る能(あた)わざれば、之を得ると雖(いえど)も、必ず之を失う。知 之に及び、仁 能(よ)く之を守るも、荘(そう)以て之に莅(のぞ)まざれば、則ち民 敬せず。知 之に及び、仁能く之を守り、荘以て之に莅めども、之を動かすに礼を以てせざれば、未だ善(よ)からざるなり」とあります。

「知識、学問が十分であっても、道徳を守ることができなければ、たとい地位を得たとしても、きっと失うだろう。知識、学問があり、道徳的であっても、どっしりとした態度で接しなければ、人々は敬意を払わない。知識、学問、道徳、厳かな態度がそろっていても、人々に仕事をさせるとき、人間として遇する礼儀をもってしなければ、まだ善しとすることはできない」との意味です。

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 的を得た孔子の教えではないでしょうか。

 

 あまり評価はされていないようですが、個片の施策や決断はそれなりの効果をあげていたのかもしれません。「なぜ理解されないのだろう」、成果ばかりにこだわり過ぎて、大切な人に寄り添う忠恕の心を見失ったのかもしれません。

晏平仲(あんへいちゅう)善く人と交わる。久しくしてもこれを敬す」と、「公冶長第五」17にあります。

「晏平仲」とは、斉の国の宰相で、賢人政治家といわれた人です。質素を旨とし、常に国家を第一、上を恐れず諫言を行い、人民に絶大な人気があったといいます。

 「あけっぴろげで、こだわりなく誰とでもつきあう。相手は、晏先生は気軽なお方だ、などと軽く考えて交際を続けるうちに、彼には叡智と毅然としたところがあることをしだいに発見して、立派なお方だ、ああいう方につき合っていただいているのはありがたいことだ、と思うようになってしまう。いかにも天成の政治家だ」と桑原武夫は解説します。

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 晏平仲のような人が次のリーダーになればいいのかもしれません。古い政治から決別すべきときなのでしょう。

 

「参考文献」

 

頭脳流出か、「光触媒」の研究第一人者が中国に移籍 ~セルフヘルプと論語 #10

 

 世界で初めて、100m2規模の「人工光合成」による、ソーラー水素を製造する実証試験に、NEDO 国立研究開発法人新エネルギー産業技術総合開発機構が成功したといいます。

 人工光合成というので、二酸化炭素を直接利用する技術かと思ったのですが、光触媒パネル反応システムを使用、水を分解、生成した水素と酸素の混合気体から、高純度の水素を分離・回収することに成功したということのようです。

www.nedo.go.jp

 一方、この光で化学反応を起こす「光触媒」に関して、ショッキングな報道がありました。

 「光触媒」を発見し、ノーベル賞候補にも名前が挙がる藤嶋昭・東京大特別栄誉教授(元東京理科大学長)が8月末に、自ら育成した研究チームと共に中国の上海理工大に移籍したそうです (出所:毎日新聞)。

 

財源不足などにより日本の研究環境が悪化する中で、産業競争力にも直結する応用分野のトップ研究者らの中国移籍は、日本からの「頭脳流出」を象徴する事例 (出所:毎日新聞

 研究者にとって研究することが本分なのでしょう。それを優先すれば、場所を問わずということなのでしょうか。NEDOと組んだ産官学での研究開発は、できなかったのでしょうか。

国力、産業、文明は、一人ひとりの人格によって決まる

「優れた人格は、社会のなかで燦然と輝く王冠にして、栄光に他なりません」と、サミュエル・スマイルズは「セルフヘルプ(自助論)」で説いています。

優れた人格は、長年にわたって高潔で、公正で、ぶれずに一貫した態度を持ち続けることによって作られるものです。 (引用:大人の気骨 サミュエル・スマイルズ 編訳:山本史郎 p173)

 グローバルの時代なのだから、国境を越え国々が協力して、人類共通の課題を研究するのが理想なのかもしれません。しかし、現実にはまだそうしたことが無条件に許される環境が整っていないのではないでしょうか。

 だからこそ、最初の1歩が重要であるとも言えるのでしょうが.....

「どの国も、国力、産業、文明のすべてが、個々の国民、一人ひとりの人格によって決まっています」、とスマイルズもいいます。

 研究者の本分は理解できるのですが、まだ時期尚早な気もします。どうなのでしょうか。

 

論語の教え

「憲(けん) 恥を問う。子曰わく、邦に道有れば穀(こく)す。邦に道無くして穀するは、恥なり。

克(こく)、伐(ばつ)、怨(えん)、欲 行なわれざる、以て仁と為す可きか、と。子曰わく、以て難しと為す可し。仁は則(すなわ)ち吾知らざるなり」、と「憲問第十四」1にあります。

憲は弟子の原憲。彼は孔子の知行地の宰になる人物であるが、また貧しい学究であったともいいます。

 その原憲が「恥」とは何でしょうかと孔子に質問すると、「邦に道義に基づいた政治が行われているとき、出仕するのがいい。しかし、道義なき政治で乱れているのに仕えているのが、恥である」と答えたといいます。

「勝ちたがり、自慢する、恨む、欲深、こういうことをしなければ、仁となるでしょうか」と再度原憲が質問すると、孔子は「難しい。それで「仁」人の道を踏んだことになるのかな」と答えたそうです。

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 難しい問題です。スマイルが指摘するように教授はすぐれた人格をお持ちのかもしれません。ただ、孔子がいう「仁」の境地にはまだ達していないということなのかもしれません。

 それとも邦に道がないのだから、仕方あるまいということだったのでしょうか。

君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る。(「里仁第四」16)

「喩る」とは、判断の基準のこと。教授の判断は「義」に適っているのでしょうか。現時点での「義」からは少し離れているような気もします。

 遠回りする道もあるはずなのですが.....