「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【孟公綽 趙魏の老と為れば、則ち優なり。以て滕、薛の大夫と為る可からず】 Vol.345

 

子曰わく、孟公綽(もうこうしゃく)趙魏(ちょうぎ)の老と為れば、則ち優なり。以て滕(とう)、薛(せつ)の大夫と為る可からず。(「憲問第十四」11)

 

  (解説)

孔子の教え。魯国の大夫、孟公綽は大国である晋の実力者、趙氏や魏氏の家老あたりになれば、ゆったり暮らせよう。一方、小国である滕国や薛国のような外圧で多忙な国の執政はとても務まらない。論語 加地伸行

 

「孟公綽」、魯国の重臣である孟孫氏の一族のひとり。欲の少ない人といわれる。 

「趙魏」、ともに晋国の重臣で、後に別の重臣韓氏とともに自国の君主を廃し、趙国、魏国、韓国の三国に分割してそれぞれが独立する。ここから戦国時代が始まるといわれる。

 

 適材適所ということであろうか。

「優」、余裕があることを意味するという。 

 

 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 
論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫
 

 

【貧にして怨む無きは、難し。富みて驕る無きは、易し】 Vol.344

 

子曰わく、貧にして怨む無きは、難(かた)し。富みて驕(おご)る無きは、易し。(「憲問第十四」10)

 

  (解説)

孔子の教え。「生活が苦しいとき、運命や社会を恨まないでいるのは難しい。しかし、金持ちだと、驕り高ぶることを抑えるのは、容易い」。論語 加地伸行

 

「学而第一」15の孔子と子貢の問答にこうある。 

「子貢曰わく、貧にして諂うこと無く、富みて驕ること無くんば、如何、と。子曰わく、可なり。未だ貧にして楽しみ、富みて礼を好む者には若(し)かざるなり」と、

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「諂」、へつらうとする解釈のほか、貧しさゆえに規範を守らないという解釈もあるという。正しくないこと、不義。

「驕」、もとは馬の背の高いことで、高所から見下ろす感じ。

「楽」、「楽道」(道を楽しむ)となっていたものもあったので、「楽」「好礼」はともに精神の向上と加地は解説した。


 他方、「泰伯第八」11では、「周公の才の美 有るとも、使し驕り且つ吝めば、其の余は観るに足らざるのみ」といい、才能があっても、人柄が高慢であったり、吝嗇であるなら、その人について他に詳しく見る必要はないと、「驕り」「吝嗇」を批判する。

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「公冶長第五」23では、伯夷、叔斉の「怨み」の少なさを紹介した。

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 この両名の顛末を見ると、「怨み」について考えさせられる。

 

 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

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論語 (ちくま文庫)

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  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
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【管仲を問う。曰わく、人や、伯氏の駢邑三百を奪う。疏食を飯らい、歯を沒するまで怨言無し】 Vol.343

 

或るひと子産(しさん)を問う。子曰わく、恵人(けいじん)なり、と。子西(しせい)を問う。曰わく、彼をや彼をや、と。管仲(かんちゅう)を問う。曰わく、人や、伯氏(はくし)の駢邑(べんゆう)三百を奪う。疏食(そし)を飯(く)らい、歯(よわい)を沒するまで怨言(えんげん)無し、と。(「憲問第十四」9)

 

  (解説)

ある人が子産の評価を尋ねたところ、孔子は「恵み深い人だ」と答えた。「子西は」。「彼などについて聞くのか、彼などについて」。「管仲は」。「人物だな。大夫の伯氏の知行地である駢の三百戸を奪い取った。奪われた伯氏は粗食の貧しい生活をしながらも、生涯、管仲への恨みのことばを発しなかった。論語 加地伸行

  

管仲」、孔子より百年以上も前の人で、斉の国の実力者。国君の桓公を力で覇者にしたという。覇者とは、実力のなかった国王の下で、諸侯を率いた事実の最高指導者。

 「八佾第三」22で、「管氏にして礼を知らば、孰(たれ)か礼を知らざらん」と、管仲の非礼を断じた。

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「子西」は、子産と同族だという。

「子産」、氏は公孫、名は僑、字名が子産。鄭の国の貴族で宰相を務めという。孔子より一世代前の合理主義的政治家であったという。 

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 孔子は、その子産を「恵人」と呼び、管仲を「人」と呼ぶ。加地も管仲を「人物」と解する。君子とはまた別な表現ということであろうか。

 伯氏の知行地を奪い去り、奪われた伯氏に粗食の貧しい生活を強いた。しかしながら、伯氏は生涯、管仲への恨みのことばを発しなかったという。それは管仲にただ敬服(うやまって従うこと。感心しうやまうこと)していたということだけなのかもしれない。

「仁」を全うする君子であれば、力で他者を圧倒することはない。力に頼った管仲はそれなりの「人物」であったに過ぎないということであろうか。

 子産と管仲、同じ為政者、政治家であるなら、「恵人」であって欲しいものだ。「〇を見る会」を催したどこかの政治家が管仲にだぶってしまった。

 

 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

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論語 (ちくま文庫)

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  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫
 

 

【命を為るに裨谌 之を草創し、世叔 之を討論し、行人の子羽 之を脩飾し、東里の子産 之を潤色す】 Vol.342

 

子曰わく、命(めい)を為(つく)るに裨谌(ひじん) 之を草創し、世叔(せいしゅく) 之を討論し、行人(こうじん)の子羽(しう) 之を脩飾し、東里(とうり)の子産(しさん) 之を潤色(じゅんしょく)す。(「憲問第十四」8)

 

  (解説)

孔子の教え。口上書(外交文書)を作るとき、大夫の裨谌が草稿を書き、大夫の世叔が検討し、外交官の子羽が補正し、東里に住む子産が潤色した。論語 加地伸行

 

「子産」、氏は公孫、名は僑、字名が子産。鄭の国の貴族で宰相を務めという。孔子より一世代前の合理主義的政治家であったという。

 

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「子産」は、これほどまでに外交問題に慎重に対処する。相手国に対する配慮を礼で示すことで、「和」を望んだということなのであろうか。

 

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 何も外交問題ばかりでなく、他者に発する言葉は慎重に選択されなければならないということなのかもしれない。特に、それを書き表す文書においては慎重さを求められることなのであろう。

 契約書、規則なども同じ類なのかもしれない。そうした文書は一方通行的な禁止事項ばかりになりがちになる。責務の明確化は必要なことであろうけど、そこには配慮が必要ということなのかもしれない。

 このコロナのご時世を鑑みてみれば。そうでなければ、人々の行動を変えることはできないということを示しているのかもしれない。 

 

 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

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  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫
 

 

【之を愛して能く労せしむること勿らんや。忠にして能く誨うること勿からんや】 Vol.341

 

子曰わく、之を愛して能(よ)く労せしむること勿(なか)らんや。忠にして能く誨(おし)うること勿からんや。(「憲問第十四」7)

 

  (解説)

孔子の教え。わが子を可愛がるばかりで、苦労させないということがあろうか。まごころを尽くすばかりで、道理を説くことがなくてもよいものか。論語 加地伸行

 

「之」をどのように解釈するかで、文章全体の意味が変わるのだろうか。加地は「之」をわが子としたが、人とする説もあるようだ。

「誨」には教え諭すとの意味がある。

 愛之能勿勞乎 忠焉能勿誨乎

 原文を読むと、愛することで、「まごころ」の意味を理解できるようになるとの意味合いがあるように感じる。

 

「関連文書」 

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【君子にして不仁なる者、有らんか。未だ小人にして仁なる者有らざるなり】 Vol.340

 

子曰わく、君子にして不仁なる者、有らんか。未だ小人にして仁なる者有らざるなり。(「憲問第十四」6)

 

  (解説)

孔子の教え。君子 教養人であって、人の道に外れた者があるだろうか。小人 知識人であって同時に人格者というようなことはない。論語 加地伸行

 

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【君子なるかな、若のごとき人。徳を尚ぶかな】 Vol.339

 

南宮括(なんきゅうかつ) 孔子に問うて曰わく、羿(げい)は射(しゃ)を善くし、奡(ごう)は舟を盪(うご)かせしも、倶(とも)に其の死然を得ず。禹(う)、稷(しょ く)とは躬(みずか)ら稼して天下を有(たも)つ、と。夫子(ふうし)答えず。南宮括出(い)づ。子曰わく、君子なるかな、若(かく)のごとき人。徳を尚(たっと)ぶかな、若のごとき人、と。(「憲問第十四」5)

 

  (解説)

南宮括が孔子に尋ねた。「羿は弓の名人であり、奡は陸上を舟を推して進めるほどの力の持ち主でありましたが、天寿を完(まっと)することができませんでした。禹も稷もともにみずから農耕に従事し、禹も稷の子孫も天子となりました。孔子は黙っていた。やがて南宮括が退出したあと、孔子はこう言った。「教養人だな、彼のような人物は。立派な人格だな、彼のような人は」と。論語 加地伸行

 

 「南宮括」、姓は南宮、名は括、字名が子容。孔子の門弟の一人と言われる。孔子の兄の子を嫁にするほど、孔子の慧眼に見合った人物。 

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「羿」は、有窮(ゆうきゅう)国の君主で、夏后(かこう)王朝を奪ったが、その臣の寒浞(かんさく)に殺されたという。

「奡」は、寒浞が羿の妻を奪って産んだ子であったが、夏后王朝の子孫の少康に殺されたという。

「稷」、周国の先祖で、その子孫が周王朝を建てたという。

「禹」、舜から天子の位を譲られた。

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