子曰わく、吾未だ徳を好むこと色を好むが如き者を見ざるなり。(「子罕第九」18)
(解説)
「孔子の教え。美人よりも、教養人に近づこうという気持ちが強い人物に、私は出会ったことがない。」(論語 加地伸行)
桑原の解説。
「色を好む」とは美人を愛することである。美人を愛するほどの熱意をこめて徳を好む人間に、自分はかつてお目にかかったことがないと桑原はよむ。この読みの方が素直ではなかろうか。
道徳と美女を天秤にかえるような大胆な発言で、道学者の口から決して出ない言葉である。しかし、孔子は正義に対すると同じ程度に美に対しても敏感な人であった。彼がどのように音楽を好んだかは既にみた。みずから美女を追い求めはしなかったにしても、これに無感動であったとは思えない。この言葉は道徳が頭脳だけのものでなく、全身的なものでなければならぬという大前提の輝く尖端なのである。「論語」をして生彩あらしめる短章の一つとしてよいと桑原は言う。
徳を抽象的な道徳とせず、これを有徳者とするのは徂徠である。そのほうが具体的になるが、必ずしもそれに従う必要はないと桑原も指摘する。朱子は「史記」を引いて、孔子が衛の霊公とその夫人南子とともにドライブしたときの発言としている。おもしろい解釈であるといえるという。
この章を読むと、渋沢栄一を思いだす。「論語と算盤」の最後に渋沢栄一小伝があって、栄一の「私生活と晩年」が紹介されている。
普段やかましく道徳を口にしているわりに女性関係にだらしないのは、渋沢家の女性たちにとっては格好の攻撃材料となっていたようで、孫の華子も、
「わたしも若いころは祖父のなんというヒヒじじいと軽蔑していた」
と述べているし、妻の兼子も、
「父さまは儒教といううまいものをお選びだよ。ヤソ教なら大変だよ」
と皮肉交じりに語っていたという。
栄一自身も晩年には、
「婦人関係以外は、一生を顧みて俯仰天地に恥じない」
とみずから語っていたという。さすがに本人も、この点は少々引け目を感じていたわけだ。 (引用:「論語と算盤」(ちくま新書)渋沢栄一小伝P238)
「吾未だ徳を好むこと色を好むが如き者を見ざるなり」
栄一も流石にこれを「言い訳」の材料にしなかったようだ。
(参考文献)