月末の衆院選に向け、中盤戦に入った各党の論戦が、「ばらまき合戦」の様相を呈してきたと西日本新聞が報じます。
現金給付や減税など、大規模な経済対策を競い合っているといいます。「成長と分配」という論点がいつのまにか、分配=給付の争いになってしまったのでしょうか。
財源なき「ばらまき合戦」、財務次官の懸念現実に 識者「不誠実」|【西日本新聞me】
「結局、ツケが回ってくるのは私たち若い世代。誰がいつ返すのか議論がない」。
各党首が顔をそろえた14日のTBS番組。大学生から出た率直な疑問に対し、首相は「経済を再生した上で財政(再建)」と述べるばかり。枝野氏は富裕層などへの増税に触れたが、具体的な返済の道筋は語らなかった。 (出所:西日本新聞)
耳に聞こえのいい話ばかりで、中身がまるでなっていないということなのでしょうか。
「論語と算盤」を説く渋沢栄一であったら、この現代の時勢をどう読み、如何に処していくのでしょうか。自身が切り拓いた日本の資本主義が、今このようなことになっていることを嘆くのかもしれません。
「会社の利益を図らなければならないが、同時に、これによって国家の利益、すなわち公益をも計らなければならないと信じて、今日までその方針で万事に処して来た」と栄一はいい、それは「孔子が論語で説いた広義の仁を実地に行わんとするの意に外ならない」といいます。
「広義の仁」とは、済民(民の苦しみを救うこと)のことだといいます。
仁については、孔子も論語のうちに種々と説かれ、所々に「仁」の文字が散見する。これを狭義に解釈すれば人に対して日々親切を尽してやるというような簡単なる意味になってしまうが、これを広義に解釈すれば、済民の事すなわち治国平天下が仁であるという事になる。
道徳の大本になるものはまた仁である。
仁は決して小さな私徳にのみ限らるべきものでない。公徳に於て、また、これを体する事にせねばならぬものである。 (参考:「実験論語処世談」 渋沢栄一記念財団)
そして、栄一は、「真に仁を行なうとすれば国の政治も改善し、風俗も改良して行かねばならないのだが、それは誰でも力を尽しさへすれば直ぐに成るというわけのもので無い。それぞれの順序がある」といいます。
「国民がみな私徳と共に、また公徳を重んじ、実業にもその意を以て当るようにすれば、仁が自然と行われて国家の品位を高め得る事になる」といいます。
論語の教え
「子 斉衰者(しさいしゃ)を見るとき、冕衣(べんい) 裳者(しょうしゃ)と瞽者(こしゃ)と、之を見るとき、少(わか)しと雖(いえど)も、必ず作(た)つ。之を過ぐるとき、必ず趨(わし)る」と、「子罕第九」10 にあります。
「孔子は、喪服を着ている人に出会うとき、あるいは、冕衣裳という貴人の盛服(正服)を着ている人や盲目の音楽官にであうとき、その人が若くとも必ず起立され、そしてその側を通られるときは疾行(しっこう)され、ともに敬意を表された」との意味です。
この章を用いて、栄一は、「孔子の時代と現代とは、すべてにおいて著しい相違がありますから、これを移して直ちに現代に当てはめることは無理であるかも知れないが、現代のように、この世のすべての人が「利」にはしり、「人情、紙よりも薄すく、道徳、地を払わんとするに至れる」は誠に寒心に堪えざる次第であって、資本家と労働者の紛争の如きも両者共に誠意の欠けているのも一原因である」といいます。
そして、少くとも喪ある人を哀しみ、爵位ある人を尊み、不具の人を愍(あわれ)むという孔子のような誠意があったならば、恐らく頻々(ぴんぴん)と起る紛争を見ずして、円満に解決の途を求むる事が出来るだろうといいます。
元々栄一が説く「広義の仁」を、政治家ばかりでなく、企業経営者が理解、実践していたなら、あえて「分配」などと言わなくても、物事すべて円満に解決する方向にあったのかもしれません。
もしかしたら、今の人々にかけているのは、誠意(=私欲を離れて正直にまじめに物事に対する気持、まごころ)ということでしょうか。
栄一が主人公のNHK大河ドラマ「青天を衝け」も次回は「論語と算盤」の回となるようです。どんなストーリー展開となるのでしょうか。
栄一が総監を務める第一国立銀行が、大株主の小野組の経営破綻で、連鎖倒産の危機に陥るというところから展開していくのでしょうか。栄一の述懐では、小野組番頭の古河市兵衛(現古河グループの祖)の献身で、その危機を脱しますが、どんな風に描かれるのでしょうか。
また、岩崎弥太郎も登場しているので、栄一との確執、骨肉の争いも気になるところです。栄一によれば、益田孝(三井物産初代社長)や大倉喜八郎(帝国ホテルの祖、現ホテルオークラは喜八郎の長男が開業)、渋沢喜作が、ひどく弥太郎を憎み、それに担がれたといいます。
そんな話のなかから、「論語と算盤」、「ソロバンは「論語」によってできている。「論語」もまた、ソロバンの働きによって、ほんとうの経済活動と結びついている。だからこそ「論語」とソロバンは、とてもかけ離れていうように見えて、実はとても近いものである」という、後の栄一の言葉につながる展開がみられるのでしょうか。楽しみです。