日本一の百貨店、伊勢丹新宿店。その店舗で、連日のように新型コロナの感染者が確認され、7月中旬から8月中旬にかけては150人以上にもなっているといいます。
「これだけ感染者が増えても「クラスター(集団感染)」として認定されないのは謎だ」、と日経ビジネスはいいます。
「伊勢丹新宿店は新型コロナのクラスターが発生している可能性があるのに隠そうとしているように感じた。百貨店に出店する企業に謎のPCR検査のルールを押し付けていた」。同店で働くある従業員はこう証言する。 (出所:日経ビジネス)
記事は伊勢丹新宿店を厳しく批判しています。しかし、ほんとうにそうなのでしょうか。新宿店でコロナ対策を担当する人たちはどんな想いを持って働いているのしょうか。
タイムズスクエア新宿、マロニエゲート銀座などのバックヤードに何度か入る機会があり、社員食堂も利用していました。表の広々とし明るく華やかな世界とは裏腹に、狭く暗くのがバックヤードでした。コロナ対策からすれば、密になりやすく、指摘の通りなのかもしれません。
伊勢丹新宿店には、約1万1500人が働き、自社雇用が約2000名で、残りの約9500名は外部の取引先企業の従業員といいます。コロナ感染者の大多数は、外部の従業員から発生しているそうです。伊勢丹を擁護するわけではないですが、社員2000名の中に、何人のコロナ対策の専従がいるのでしょうか。感染対策はさすがに外部に任せることはできないのでしょう。
感染症の専門家でなければ、その対応に苦慮することが容易に想像できます。表の対応とバックヤードの対応。バックヤードの環境からして、対応が後手後手に回るのかもしれません。しかし、同じ状況が何日も続くのなら、容認することはできず、責められても致し方ないのでしょう。専門家の助力を仰いでいるのでしょうか。
時間の余裕を作り出す
「君は自分の道を切り拓かなければならない。君がこの先飢えるか飢えないか、それは君自身の努力次第だ」と、サミュエル・スマイルズは「セルフヘルプ(自助論)」でときます。
「目の前の仕事を片付けよ」、やらなければならないは、どんなことであれ直ぐにやれ、といいます。
1日に15分でよいのです。自分を高める努力をするなら、1年経ったとき、あなたはきっと違いを感じているでしょう。(引用:大人の気骨 サミュエル・スマイルズ 編訳:山本史郎 P105)
「時間の余裕を作り出すには、時間を節約しながら使うこと、これこそが正しい方法です。そうすることで、仕事に追い立てられるのではなく、じっくりと仕事に取り組んで、前進させることができます」とスマイルズはいいます。
これと逆に、時間の計算を誤れば、いつまでもバタバタと慌てるばかりで混乱し、面倒ばかり起きるといい、間に合わせのやっつけ仕事になっては、大破局を迎えることになるといいます。
君子は憂えず懼(おそ)れず
司馬牛(しばぎゅう)に君子とは問われた孔子が述べて言葉です。さらに孔子は「内に省みて疚(やま)しからざれば、夫(そ)れ何をか憂え何をか懼れん」、といいます(「顔淵第十二」4)。
「己の心を省みて少しも疚しいところがなければ、一体何を憂え、何を懼れることがあろうか」との意味です。
気の抜けぬ緊張した日々が続き、バタバタと毎日起こることばかりに気をとられていては、根本の対策に手が回らない。ありがちなことなことです。
自己を省みる時間があれば、正すべきことに気づきがあるのかもしれません。万能に何でも対応できる人などいないのでしょう。助力、協力が求められているのかもしれません。助力や協力を求めることは何も恥ずべきことではないはずです。緊急事態であればなおさらです。孔子が指摘するように、自分の中にやましいことがなければ、正当に要求できることなのですから。
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.....もちろん伊勢丹新宿店がこれまでにないような逆境に直面しており、収益確保に悩んでいることは理解できる。緊急事態宣言が何度も延長され、訪日外国人の激減も続く中で、大黒柱である基幹店の営業をなんとかして続けたいと考えるのは当然だろう。
それでも経営を持続するために大事なのは、顧客だけでなく、現場を支える従業員を全力で守ることだ。1つの店舗で150人以上のコロナ感染者が出て、毎日のように新規感染者が出ている状況では、従業員の不安は消えない。クラスターが起きていた可能性を疑う従業員がいても不思議ではない状況だ。
伊勢丹側は「当社店舗に限定してのクラスターとは認定されていない」とする一方で、「店内で感染したか、家庭や街中で感染したかがわからない状況だが、(伊勢丹新宿店と)何らかの関連性がある可能性があると、(保健所から)指摘されている」(三越伊勢丹)と説明する。
従業員の不安を解消できないまま営業を続け、現場からの信頼を失えば、会社の未来が危ういのは言うまでもない。 (引用:日経ビジネス)
「言うは易く行うは難し」、悪気はなくても、そう見えてしまうこともあるのでしょう。極度の緊張下でどれだけ正しい行動をできる人がいるのか、ということでもあるのでしょう。