「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

340兆円 驚愕のアップルの時価総額 東証一部全体の半分の価値 ~ 炉辺閑話 #83

米アップルの時価総額が一時、3兆ドル(約340兆円)を突破し、東証1部全体の時価総額の半分に迫ったといいます。そのスピードにも驚きます。それだけ信頼を得ているということなのでしょうか。

 IT、ハイテク分野でリスキーでありながら、経営の安定性があって、なおかつ着実な成長が見込めるということなのでしょうか。それにしても、アップル1社で東証1部全体の半分の価値には驚愕です。日本企業のだらしなさが際立ってしまいます。

Apple時価総額、一時初の3兆ドル 東証1部の半分に迫る: 日本経済新聞

 アップルの成長力を重視する投資家は、世界で10億台以上稼働する「iPhone」の動向に注目する。利益率の高い高機能端末への買い替えを促しつつ、音楽配信など端末利用者向けサービスで稼ぐ事業モデルが評価されてきた。ここに新たな成長ストーリーが加えられようとしている。水面下で開発中と噂される拡張現実(AR)や仮想現実(VR)端末、自動運転EVだ。(出所:日本経済新聞

 日本の日本のハイテク企業が躓き成長路線を歩めないのを尻目に、アップルは安定性をも手に入れ評価される。経営の差ということなのでしょうか。

 

 

不正、信頼を築けない日本企業

 国内では、東芝原子力で躓き、不正会計に揺れ、未だ経営再建への道筋を描き切れていないようです。三菱電機も品質不正が発覚、再建はこれからというところでしょうか。同じく電機のパナソニックもかつての輝きを失い、成長路線を模索し続けています。

 国にあっては、デジタル化が全く進まずに統計データでミスを犯すような始末です。そればかりでなく、あれだけの大事故を起こした原発問題も解決に至っていません。

 問題解決力の乏しさ、不正に手を染めてしまう体質、こんなことが露呈するばかりではとても信用を得ることはできません。

論語の教え

曾子曰く、吾 日に吾が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしか」と、「学而第一」4にあります。

「人の為に忠実、まごころを尽くし、また友人には信義を尽くし、聖人の道を修めるに汲々としてさえ居れば、人は怨みに遠ざかることができ、決して他より怨まれるものでは無い」と渋沢栄一は、この章の意味を解説します。

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「習わざるを伝えしか」を栄一は、「伝えて習わざるか」と読み、「まだ十分に学習していないことを他人に伝えていないか」と意味する古注に従わず、「他より教えられていながら、ただ聞くのみで、学習を怠たり、実行しているようなことは無かろうか」と解釈します。

 

 

「一日に三度我が身を省みるというほどまでには参らなくても、人の為に忠実に謀ってやらねばならず、友人に対しては信義を尽くさねばならず、また孔子より教えられた道を閑却せず、常に修めて行かねばならぬものであるといふ事を忘れずに心懸けて居る」と栄一はいいます。

かつての日本を学習した米国

 かつて日本に追い抜かれる危機に瀕した米国は、日本企業の経営手法を徹底的に学んだといわれています。トヨタの生産方式からリーン方式などの経営手法を編み出し、今ではGAFAM、テスラのCEOたちは一様にそうした知識を身につけ、応用しているといわれます。

 EC書店であったアマゾンは、クラウドサービスや物流を手がけるようになり、今では次々に新しいハードウェアを生み出しては新たなサービスを模索しています。OS企業だったマイクロソフトはいまではPCなどハードウェアも手がけるようになり、一方で脱炭素の研究を重ねて、そこから新たなサービスを始めようとしています。アップルは、アップルウオッチでヘルスケア産業にも触手し、そればかりでなくEVにも進出しようと慎重に検討しているようです。

 一方、日本はそうした米国の成功事例を模倣するばかりで、そこに学び、学習することがなく、ただものまねをするだけに終わっているのかもしれません。すぐに躓いてしまうことになってしまう当然なことなのでしょう。経営者の差ということなのかもしれません。

 

 

ミスを活かしたジョンソンエンドジョンソン

「君子 重からざれば、則ち威あらず。学びて則ち固ならず。忠信を主とし、己の如かざる者を友とする無かれ。過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」と、「学而第一」8にあります。

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 ジョンソンエンドジョンソンは1982年、第三者タイレノール(解熱鎮痛薬)に毒物(シアン化合物)を混入し、7人が死亡するという事件に巻き込まれました。

 同社はすぐにアメリカ全土から全てのタイレノールを回収し、容易に開封できない容器に改良したそうです。回収には2,500人の従業員を動員し、1億ドルの費用を掛けたといいます。

「J&Jは費用を度外視して、正しいことを自発的に行う企業だというイメージを確立することに成功した」と、ワシントン・ポストが論評したそうです。そして、今もまたジョンソンエンドジョンソンは、アップル、マイクロソフトと並んで、S&P500構成銘柄で最高位の格付けを付与されているといいます。

 

 

「学びて則ち固ならず。忠信を主とし、己の如かざる者を友とする無かれ。過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」

 考えが固定化しないように常に学習し、顧客に対してはまごころを第一に接し、約束を違えず、自分より劣ることは教訓とし参考にしない。過ちを犯したなら、ミスはミスとして素直に改心して改めるというのが現代的な解釈でしょうか。

 ミスを犯し成長できない企業はこれと真逆のことをやっているように見えてしまいます。流行りのマネジメント手法ばかりでなく、「道理」も学んだ方が良さそうです。実際はどうなのでしょうか。

 

日本の幸福度はなぜにそう低いのか、幸福度が高い北欧諸国との差は何か

 

 豊かさや幸福を願うのは人として共通なことなのでしょう。他人や他国と比較することはないのかもしれませんが、やはり国際ランキングがあると気になるものです。兎角、となりの芝生は青く見えてしまうのでしょうけれども。

豊かさの現在地 経済成長、日本と世界:日本経済新聞

少子高齢化へ向かう人口動態が成長の余力を削ぎ、富は社会の隅々に届きにくくなった」。

もはや当たり前のように低空飛行を続ける経済、新型コロナウイルス禍、拭えない格差や不平等ー。

私たちはかつてなく満たされない時代を生きているのかもしれない。失われつつある物心の豊かさを取り戻すことはできるのか。(出所:日本経済新聞

 何も自ら卑下することもなろうかと思うですが、どうなのでしょうか。これではいつまでたっても幸福度の向上はありそうにもありません。

 

 

幸福度、世界40位

 30年にわたる経済低迷にあえぐ日本、世界3位の経済大国でありながら、人々の充足感は乏しく、日本の幸福度は世界40位に低迷しているといいます。

賃金が上がれば消費が喚起され、企業業績が伸びて賃金も増える。結果、経済の規模が大きくなるのが経済成長の基本的なサイクルだ。しかし過去20年を見ても日本は成長の循環から遠ざかっている。(出所:日本経済新聞

 いささか聞き飽きたように感じます。こうした成長の循環が生まれないのは「生産性の低さ」と記事は指摘します。

 効率性の追求をないがしろにして、要領よく成長軌道に戻ることを夢見た「つけ」なのでしょうか。知性を違う方向に使ったのかもしれません。努力が報われずに、労苦になれば、そこに幸福は生まれないのでしょう。

 

 

 ただ記事データを眺めると、経済成長率や賃金の伸びと幸福度には関係性がないようにも見えます。

幸福度と他者への信頼度

 幸福度の上位常連は北欧の国々です。フィンランドデンマークスウェーデンなどなど。ドイツも上位に食い込んでいるようです。

 データを観察してみれば、社会の腐敗度が低く、治安が比較的良く、他者への信頼度が高いようです。

 一方、日本では他者への信頼度が低く、別の宗教、外国籍の人のことはもとより、初対面の人も信頼しない傾向が他国より強いようです。また、日本の社会の腐敗度は、世界平均より悪く、幸福度の高い国々と大きな開きがあるようです。社会の規範や規律が疎んじられているということなのでしょうか。

論語の教え

「千乗の国を道くには、事を敬して信、用を節して人を愛し、民を使うに時を以てす」と、「学而第一」5にあります。

 豊かな国に導くには、事は丁寧に扱い、人民を欺くことなく、公の金品は節約に心がけ、人々の心を豊かにし、人民を労役に就かせるのではあれば、農閑期にする」との意味です。

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 こうした教えを聞けば、そうだよなと思いつつもなかなか実践できないのが人というものかもしれません。しかし、国民が幸福度を感じる国があるというのだから、こうした教えができているということなのでしょうか。

 豊かな国とは、物が潤沢にあるということだけではなく、モラルある国ということなのでしょうか。

 

 

 孔子は、人の守るべき道の中で最も重きを「信」に置いたといわれます。

「人として信無くんば、其の可なるを知らざるなり。大車 輗無く、小車 軏無くんば、其れ何を以て之を行らんや」と、「為政第二」22にあります。

「人に「信」が無ければ、如何に才智があっても、如何に技量があっても、安全な世渡りはできない」との教えだと渋沢栄一が言います。

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「信」は人の行いにとって扇の要の如きものである。信無くしては、如何なる事業にある人も、如何なる職務にある人も世に立って行けるものでない。(渋沢栄一

 他者を信頼できなくなってしまったことが、もしかしたら日本の最大の弱点なのかもしれません。信頼がないから幸福を感じず、まだ、信頼がないから企業活動が活発にならず、経済成長もないのかもしれません。

 他者を信頼できれば、それが幸福を認識して理解することにつながっていくということなのかもしれません。そのためには他者を理解することから始まるのかもしれません。

 

情報革命の資本家孫正義氏と渋沢栄一、二人に違いはあるか ~ 炉辺閑話 #82

 今年度内にGDP国内総生産がコロナ前の水準に戻る予測があるといいます。 民間エコノミスト36人の予測を公益社団法人日本経済研究センター」がまとめたところ、実質成長率が、今年度でプラス2.72%、4月からの新年度ではプラス3.03%となったといいます。「リベンジ消費」による押し上げ効果が主な要因のようです。

 コロナという外乱で落ち込んだ経済が自然に回復に向かうということでなのでしょうか。 予測があたるようであれば、もう声高に経済成長、経済成長と叫ぶこと必要ないのではないでしょう。それよりは、いかに持続的な成長軌道に移行できる転換できるか、それが問われていそうな気がします。  

 

情報革命の資本家

 人工知能(AI)のユニコーン群をつくり、人類の未来をつくるとしたソフトバンク・ビジョン・ファンドを運営する孫正義氏。昨年の株主総会では、「情報革命の資本家になる」と話されていました。

 ビジョン・ファンド創設から5年、まだその道のりは1合目にすぎないと孫氏はいいます。孫氏が目指す世界の片鱗すらまだ示すことできていないということなのでしょうか。

 孫氏の言葉と今までの結果から、色々と推測したりもします。WeWorkが躓き、中国アリババの創業者ジャックマーが中国当局の締め付けに合い苦境に陥り、孫氏の先を見る目を疑ったりもしました。それはたんなるやっかみだったのかもしれないと感じたりもします。

孫正義氏インタビュー「未来をつくるため、いかがわしくあり続ける」:日経ビジネス電子版

 投資家と資本家は決定的に違うと孫氏はいいます。投資家は、いかに安く買って高く売るかを考え、一方、資本家はお金ではなくて未来をつくることが正義といいます。

ジェームズ・ワットやトーマス・エジソンヘンリー・フォードなどの発明家、起業家が産業革命をけん引しましたが、彼らとビジョンを共有しリスクを取ったロスチャイルドのような資本家がいた。日本でも幕末や明治維新のころは三井や三菱、渋沢栄一などの資本家が新しい会社をどんどん興していきました。

そうして両輪で未来をつくりにいった結果、人類に有益な結果を生み出したんだろうと思うんです。AI革命の担い手である起業家、発明家とビジョンを共有して、人類の未来をつくりたい。それが我々のゴールであり正義なんです。(出所:日経ビジネス

 さらに孫氏は、「誤解を恐れずに言えば、我々は若者や起業家に「いかがわしくあれ」と言っているぐらいなんです」といいます。

「世の中が「立派な会社だ、安心な会社だ」と思うころには、成長しない成熟した会社になってしまう。 ですからまだまだ僕も、いかがわしくありたいと思っているんですよね」といい、あのビートルズを例にして、「僕らが子供のときはビートルズの音楽を聴いただけで不良と言われたでしょう。今やビートルズは音楽の教科書に載っています」と説明し、「新しい時代の息吹を批判したり避けて通ろうとしたりしてはいけない」といいます。

 

 

渋沢栄一孫正義

 孫氏の口から渋沢栄一の名が出てくることに意外と感じつつも、もしかしたら、孫氏も若き頃の栄一と近いものがあるのかもしれません。

「吾 未だ剛者を見ず。或ひと対えて曰く、申棖(しんとう)と。子曰く、棖や欲あり、焉んぞ剛たるを得ん」と、論語「公冶長第五」11にあります。

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 孫氏を見ていると、この章にある剛者「申棖」が連想します。

 孔子は申棖は欲が深く、誘惑に負けるだろうから「剛」といわないといっています。

 その「剛」と「強」の違いを渋沢栄一が解説します。

俗に「強慾」と申す語のあるほどで、慾には如何にも強い所があるようにも考えられるが、決してそうで無い。孔子がこの章句に説かれた「剛」の字は「強」の字と、その意を異にし、義しい観念の上に立って踏ん張る時の勇気を指したもので、「剛毅」といふ熟字を作るに用いられる「剛」と同じ意味の「剛」である。(出所:「実験論語処世談」 渋沢栄一記念財団

 こう聞くと、剛者になれず、孫氏はまだただの強者なのかもしれない。逆に言えば、若かりし頃の栄一も孫氏同様、まだ学びし「強者」だったのかもしれません。

 

 

論語の教え

「不仁者は以て久しく約に処(お)らしむ可からず。以て長く楽に処らしむ可からず。仁者は仁に安んじ、知者は仁を利す」と、「里仁第四」2にあります。

 不仁者に貧しい生活を長くさせてはいけない、また、豊かな生活を長く続けさせてはいけない。仁者は自分の境地のままに生き、知者は仁、己の境地を社会に活かすとの意味です。

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 今の孫氏は仁者に至れず、まだ欲を残した知者として「己の境地」を社会に活かそうとしているのかもしれません。ただこの先、どのように変化するかはわかりません。

 かつての栄一がそうであったように。栄一も歳を重ねるごとに仁者に近づいていったのかもしれません。

 晩年の栄一のような仁者と知者である孫氏の両輪がそろえば、健全な持続的な経済成長もありそうな気がします。知者ばかりになってしまうと、その後に強欲者ばかりが育ってしまわないでしょうか。仁者が求められていそうです。

 

善き社会を求める将来世代、「共通善」を見いだせない世代 ~ 炉辺閑話 #81

 平穏無事のありがたみをつくづく感じるようになりました。コロナ禍の影響もあるのでしょう。そうは思えど、何事も社会が平穏無事ということは稀で、この平穏無事こそが人類が常に希求すべきものだとも思います。

 みながそれを願うようになれば、そこに問題が生じます。その問題を解決することが常に求められ、そこに人として生きる道があるということなのでしょうか。

 かつて孔子は、「吾 十有五にして学に志す。三十にして立つ」といいました。

 不遇な少年であった孔子が十五にして、意識的に学ぶことの必要性を強く感じ決意したそうです。しかし、その不遇な状況は改善されず、ようやく三十にして自立できたといいます。

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 それまでに孔子は様々な職業をついたといわれ、様々な経験したのでしょう。その経験を通し学んだ知識をようやく社会に役立てることができるようになったということでしょうか。

 

 

 孔子が生きたのは今から2500年も前のことです。今と比べ知識の集積が薄かった時代に、学ぶことにもたいへん苦労があったのではないでしょうか。

「詩三百、一言以て之を蔽(おお)えば、曰く、思い邪(よこしま)無し」(「為政第二」2)

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 社会を観察し、深く洞察することで新たな発見があり、それを記していったりしたのでしょうか。

学に志す

 ユーグレナ社の前にCFO(Chief Future Officer、最高未来責任者)だった小澤杏子さんが昨年11月、丸井グループの「最年少アドバイザー」となったそうです。

将来世代の一員としてよりよい社会づくりに挑戦 | 日経ESG

丸井グループの中でも将来世代の一員として、次にバトンを繋げるために社会で何に取り組んでいく必要があるのか、何を変えていかなければならないのか模索し続けていきたい」と述べ、「この新しい環境の中でも必ず何かをより善くできるように今まで以上に大学外での勉強や経験を積んでいきたい」と語っています。

 孔子のことばに従えば、まさに「十有五にして学に志す」というところでしょうか。

 

 

 一方、三十にして自立した孔子は、四十になると「不惑」、自信を得てのことでしょうか、もう惑うこともなくなったといい、五十にして天命を知り、六十にして耳が順(したが)うようになり、七十にもなると、心の欲する所を従いて矩を踰えずといいます(「為政第二」4)。

 文学者桑原武夫は、「五十にして天命を知る」とは、自分がこの世で完遂すべき使命を自覚し、六十になると、自分と異なる意見や思想を聞いても、それが素直に耳に入り、反撥しなくなることといいます。さらに七十にもなれば、意識的反省なくして、自分のしたい通りに振舞っても、節度を失うようなことがないことだと解説しています。

 しかし、現代の政治の世界においてはこの言葉は通用しないのでしょうか。

 79歳になったバイデン米大統領は米中対立を収束させるどころか、かえって悪化させているようです。まだまだ私欲が強いのでしょうか。一方、69歳の中国習主席も対立を望まずに、七十に近いのだから節度を保って欲しいと思います。世界からの批判に寛容になる度量があっていいのかもしれません。

 聞き上手といった岸田首相が64歳であることからすれば、人の話を反撥せずに聞けるのもごく自然なことで、逆に67歳になっても、いまだに相手の意見に反撥し、相手が嫌がるようなことを平気で述べる安倍元首相は人格的にはまだまだなのかもしれません。

天命を知る

「分断」だの「対立」という言葉を頻繁に聞くようになっています。昨今の情勢はまた30年前に逆戻りし、イデオロギー対立再びとなりそうです。歴史は繰り返すのか、それとも、これまでの歴史をアップデートできるのか問われているような気がします。

 どちらかに組することなく、地球的な課題となっているコロナ禍や気候変動の問題を「共通善」とすることへ筋道をつけることが求められていないでしょうか。それによって、未来を次の世代に引き継ぐことができるようにならないでしょうか。それが常に先行く世代の役割、天から与えられた使命のように思えてなりません。

 

失われた30年で失くしたもの、なくならない凄惨な事件 ~ 炉辺閑話 #80

 

 新しい年を迎えました。今年こそコロナパンデミックが収まり、平穏な日々がとり戻せればと願います。

 昨年を振り返れば、大阪や茨城県古河で凄惨な事件があったことが思い出されます。惨事を繰り返さない対策が求められています。今回の大阪の事件も京アニを模倣しているといわれます。しかし、どんなに規制を強化しても、同じような行為に及ぶ人が出てしまえば、また同じことが繰り返されることになります。こうした惨事を繰り返さないためには、どうすればいいのでしょうか。  

 

失われた30年で、失したもの

「賢なるかな回や、一簞の食、一瓢の飲、陋巷(ろうこう)に在り。人は其の憂いに堪えず。回や其の楽しみを改めず。賢なるかな回や」と、論語「雍也第六」11にあります。

 この章は、孔子の弟子の顔回(顔淵)が楽しんで簡素な学究生活する姿を描いています。渋沢栄一によれば、顔回の如く一簞の食、一瓢の飲に満足して決して富もうというような不所存を起しては相成らないなぞと、孔子が説いているのではなく、顔回が富の誘惑に打ち克って、簡易生活に満足し、志を曲げることなく、富貴の上に超然として道を楽しんでいることを賞められたのであるといいます。

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貧困、富める人を攻撃せられたものであると思ったら、それは大なる間違いである。

普通大抵の人間ならばその苦みに堪えかね、直に富貴の誘惑に敗けてしまうが、顔回はよくその憂いを忍び、断固として威武にも屈せず、富貴にも冒されなかつたのである。これが顔回の賢かったところだ。(参考:「実験論語処世談」 渋沢栄一記念財団

 

 さらに栄一は、「世間のことを生半可に噛った者は、何よりも富貴を重んじて権勢のあるところ、金銭のあるところに就くのを、処世上の最も賢き手段であるかの如くに思っているが、実はそうで無い。初めのうちは賢そうに見えても、富貴のために志を曲げるような人は、末になれば、また富貴の為に如何なる事も営むようになり、遂には身を亡ぼすに至るものだ」といいます。

 

 

「利己一点張りになり、己れの利を謀るにのみ汲々し、一にも二にも我が富貴ばかりを心懸けておったら、富貴栄達を思うままに遂げ得られそうなものだが、結果は却って、それと正反対になるものである。我利々々主義の者は、自分だけは利己主義を通そうとしても世の中はそれでは承知しないものだ。利己主義一点張の人には、世間が力添えをしてくれないことが常だから、自然世の中に立ち得られ無くなってしまう」ともいいます。

「失われた30年」といわるようになって、経済、経済との声が大きくなり、そればかりに汲々となり、人の心に変化が起きてしまったのかもしれません。経世済民であるはずの経済がいつしか、富貴を追い求めることにとってかわり、民を済(すく)うことが忘れられてしまったのではないでしょうか。たいへん危険なことのように思われます。  

 

論語の教え

「疏食を飯らい、水を飲み、肱を曲げて之を枕とす。楽しみ亦其の中に在り。不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲の如し」と、「述而第七」15にあります。

論語と算盤」を掲げる栄一は、孔子が粗衣疏食を勧めるはずもなく、そうした生活の中でしか、真正の楽しみは得られないものだと説くはずもないといいます。

「疏食を飯らい……」からの前半の句は、後半の「不義にして富み且つ貴きは、我れに於いて浮雲の如し」に対照するために用いたもので、不義を行って富貴利達を求めようとするのは人として恥ずべきであって、楽しいわけがないといっているのだと主張します。

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 結局は富貴利達も自己満足であって、それでは「私欲を捨て、公共のために尽くす」という義には敵わないということでしょうか。

「義」とは、道理に適い、人道に従い、正しい筋道でものごとを進めていくことであるはずです。

 大阪の事件の容疑者が亡くなったとそうです。動機など事件の全容の解明が困難になったといわれます。ただまたもこうした凄惨な事件が起きたという現実だけは残ります。事件が起きるたびにルールやしくみで対策しようとしますが、繰り返し事件が起きています。こうしたことが起こらない社会にしていかなければならないのでしょう。

 

憂鬱な今年の10大ニュース 無為として化せば、もっとよくなったはずなのに

 今年の10大ニュースが、報道されています。ニュースを見て振り返れば、激動の1年だったということでしょうか。

 米国で1月バイデン政権が発足し、トランプ政権で乱れた秩序が回復するのかと期待しましたが、米中対立はさらに激化し、期待し過ぎたのか、成果があまり見られていないように感じたりします。

 民主主義の退潮が指摘されるようになり、権威主義が台頭しているといわれます。アフガニスタンではタリバン復権し、ミャンマーではクーデターが起き、未だ収束せず、多くの人が武力弾圧の犠牲になっています。香港ではリンゴ日報が廃刊に追い込まれ、民主派が弾圧されました。

 ウクライナ国境では緊張が高まり、台湾海峡でもきな臭さが増しているようです。1月、バイデン大統領の正式認定手続きを進める議会にトランプ支持者が乱入し、犠牲者が出ました。当の本人は選挙での敗北を認めようとしなかったことが背景にあったのでしょうか。中国では11月、40年ぶりに歴史決議が採択され、習主席の3期目突入が確実視されるようになったといいます。  

 

 一方、コロナは一向に衰えを見せずに猛威を振るいます。世界的大流行、パンデミック。世界での感染者数が2億5000万人を超え、死者も500万人を超えているそうです。人類の叡智を結集すれば、収束するのかと思いきや、そうはならずに現在に至っています。

 日本国内でも緊急事態宣言が繰り返されては解除となり、また宣言が出される事態になりました。国内でワクチン接種を進めた政権が、対策が後手に回っていると批判され退陣し、新しい政権が誕生しました。しかし気づけば接種率は7割を超え、世界トップクラスだそうです。

 しかし、そのワクチンは途上国にはまだ十分に行き届かず、不公平さも否めません。ワクチン製造がほんの一握りの企業でなく、もっと多くの企業で製造されれば、接種も進み、もう少し早くパンデミックが収束するのかもしれません。

 これが正しい経済の論理なのかもしれませんが、救えない命が多数あったかと思うと矛盾を感じたりもします。もっと国際協力があればいいのでしょうが、そうならないのが現代のようです。 もっと環境を重視する思考が定着すれば、改善があるのではないでしょうか。結局、自国だけのことを考えていても世界はつながっていて、ウィルスは国境を越えてやって来てしまいます。気候変動の問題と根っこはおなじなのではないでしょうか。世界が協調しなければ地球の二酸化炭素の濃度を下げることはできません。  

 

論語の教え

「政を為すは徳を以てす。譬(たと)うれば北辰の其の所に居りて衆星之と共にするが如し」と、「為政第二」1にあります。

 論語 500余りの章句の中で好きな章句のひとつです。 前段の「政を為すは徳を以てす」の解釈がいくつかとあるといいます。穏当に読めば、「為政者は民衆の模範となる有徳者でなければならない」ということなのでしょうが、知力(理知と権力)に頼らないで、為政者の徳性によって教化すること、言い換えれば、「無為にして化す(=自然のままで人の手を加えないこと。支配者が特段何かをしなくても、その徳で自然に治まること)」ことだという解釈もあるそうです。

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 吉川幸次郎は「徳による政治の効果の比喩として美しい」と解説しています。漢の鄭玄の説に従い、夜空に散らばる星たちが北極星を中心にして回転する様は、それはあたかも北極星にむかっておじぎし、挨拶しているようだといいます。げすな意見なのかもしれませんが、徳に拠る政治の当然の結果として、礼儀正しい、モラルを尊ぶ社会になっていくということなのでしょうか。

 桑原武夫は「君主、為政者はつねに人民をわが子のように愛するとするという基本姿勢において、人民の生活にできるだけ干渉しないようにして、ただ災害から守る配慮をしつつ、最低の租税をとりたてさせる」ということが「政を為すは徳を以てす」ということであろうと解説します。

 

 

 現代の政治はこうした理想から遠く、無為にして化すではなく、動き過ぎるのがよろしくないのかもしれません。今、世界はコロナや気候変動という未曾有の災禍に悩まされています。この解決にまず尽力するのが為政者の務めなのでしょう。様々な利得を考えるから複雑化し、対応が後手に回るのではないでしょうか。現実にはできないことなのかもしれませんが、だからこそ、それを目指すべきということなのかもしれません。

 さてさて、来年はどうなるのかと気が揉みます。何はともあれ災禍がないのが一番です。良い年になることを願うばかりです。

 

憂鬱な今年の10大ニュース 無為として化せば、もっとよくなったはずなのに

 今年の10大ニュースが、報道されています。ニュースを見て振り返れば、激動の1年だったということでしょうか。

 米国で1月バイデン政権が発足し、トランプ政権で乱れた秩序が回復するのかと期待しましたが、米中対立はさらに激化し、期待し過ぎたのか、成果があまり見られていないように感じたりします。

 民主主義の退潮が指摘されるようになり、権威主義が台頭しているといわれます。アフガニスタンではタリバン復権し、ミャンマーではクーデターが起き、未だ収束せず、多くの人が武力弾圧の犠牲になっています。香港ではリンゴ日報が廃刊に追い込まれ、民主派が弾圧されました。

 ウクライナ国境では緊張が高まり、台湾海峡でもきな臭さが増しているようです。1月、バイデン大統領の正式認定手続きを進める議会にトランプ支持者が乱入し、犠牲者が出ました。当の本人は選挙での敗北を認めようとしなかったことが背景にあったのでしょうか。中国では11月、40年ぶりに歴史決議が採択され、習主席の3期目突入が確実視されるようになったといいます。  

 

 一方、コロナは一向に衰えを見せずに猛威を振るいます。世界的大流行、パンデミック。世界での感染者数が2億5000万人を超え、死者も500万人を超えているそうです。人類の叡智を結集すれば、収束するのかと思いきや、そうはならずに現在に至っています。

 日本国内でも緊急事態宣言が繰り返されては解除となり、また宣言が出される事態になりました。国内でワクチン接種を進めた政権が、対策が後手に回っていると批判され退陣し、新しい政権が誕生しました。しかし気づけば接種率は7割を超え、世界トップクラスだそうです。

 しかし、そのワクチンは途上国にはまだ十分に行き届かず、不公平さも否めません。ワクチン製造がほんの一握りの企業でなく、もっと多くの企業で製造されれば、接種も進み、もう少し早くパンデミックが収束するのかもしれません。

 これが正しい経済の論理なのかもしれませんが、救えない命が多数あったかと思うと矛盾を感じたりもします。もっと国際協力があればいいのでしょうが、そうならないのが現代のようです。 もっと環境を重視する思考が定着すれば、改善があるのではないでしょうか。結局、自国だけのことを考えていても世界はつながっていて、ウィルスは国境を越えてやって来てしまいます。気候変動の問題と根っこはおなじなのではないでしょうか。世界が協調しなければ地球の二酸化炭素の濃度を下げることはできません。  

 

論語の教え

「政を為すは徳を以てす。譬(たと)うれば北辰の其の所に居りて衆星之と共にするが如し」と、「為政第二」1にあります。

 論語 500余りの章句の中で好きな章句のひとつです。 前段の「政を為すは徳を以てす」の解釈がいくつかとあるといいます。穏当に読めば、「為政者は民衆の模範となる有徳者でなければならない」ということなのでしょうが、知力(理知と権力)に頼らないで、為政者の徳性によって教化すること、言い換えれば、「無為にして化す(=自然のままで人の手を加えないこと。支配者が特段何かをしなくても、その徳で自然に治まること)」ことだという解釈もあるそうです。

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 吉川幸次郎は「徳による政治の効果の比喩として美しい」と解説しています。漢の鄭玄の説に従い、夜空に散らばる星たちが北極星を中心にして回転する様は、それはあたかも北極星にむかっておじぎし、挨拶しているようだといいます。げすな意見なのかもしれませんが、徳に拠る政治の当然の結果として、礼儀正しい、モラルを尊ぶ社会になっていくということなのでしょうか。

 桑原武夫は「君主、為政者はつねに人民をわが子のように愛するとするという基本姿勢において、人民の生活にできるだけ干渉しないようにして、ただ災害から守る配慮をしつつ、最低の租税をとりたてさせる」ということが「政を為すは徳を以てす」ということであろうと解説します。

 

 

 現代の政治はこうした理想から遠く、無為にして化すではなく、動き過ぎるのがよろしくないのかもしれません。今、世界はコロナや気候変動という未曾有の災禍に悩まされています。この解決にまず尽力するのが為政者の務めなのでしょう。様々な利得を考えるから複雑化し、対応が後手に回るのではないでしょうか。現実にはできないことなのかもしれませんが、だからこそ、それを目指すべきということなのかもしれません。

 さてさて、来年はどうなるのかと気が揉みます。何はともあれ災禍がないのが一番です。良い年になることを願うばかりです。