「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【吾日に吾が身を三省す】&【益者三友、損者三友】 Vol.8 & 9 ~人間関係に疲れたなら

 

 いまさら、SNSのことを例に出すこともないが、現代はいとも容易く、人と繋がることができる。その一方で、人間関係で苦しむことが増えてきているのではなかろうか。 

人間関係は複雑さを伴うので、簡単に語ることはできない。

【われ日に、わが身を三省する】

シンプルにわが身を省みてみる。意外にそんなところから人間関係のトラブルも解消されるのかもしれない。 

 

曾子曰く、吾 日に吾が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしか、と。(「学而第一」4)

 

(現代語訳)

曾子の教え。私は毎日いろいろと反省する。他者のために相談にのりながら、いい加減にして置くようなことはなかったかどうかと、友人とのつきあいで、ことばと行ないとが違っていなかったかどうかとか、まだ十分に身についていないのに他者に与えてしまったかどうかとか、というふうである。 (出所: 論語 加地伸行

  

「忠」は、かりそめにせず、まごころを尽くすことであり、「信」は誠実、特に言葉における信義という語感が感じられる。「伝不習乎」は古注に従えば、十分に勉強しないで、つまり自分自身が納得がいくまで理解習熟していないことを軽々しく後進に伝えているのではないかということ。

 

 

 桑原は、この「吾 日に吾が身を三省す」から以下のような考察をする。

人にまごころを尽し、友人に誠をささげることの立派さに誰も異存はないだろう。しかし、現実世界において、あらゆる人、あらゆる友人にそうすることが果たし可能だろうか。

人とは何か。友とは何か。

論語は理想主義ではあるが、あくまで人間主義であって、絶対的超越論を押しつけない。ひとしく人といっても親近と疎遠の別があることを当然とする

友については、「益者三友」(「李氏第十六」4)などといい、また、「己に如かざる者を友とする無かれ」(「子罕第九」25)ともいって選択の必要を説いている。

まずは小さい範囲で忠信を尽し、さらにおのれの能力に応じて行動半径を広げてゆくことを求めている。 (論語 桑原武夫) 

  

孔子曰わく、益する者の三友あり。損なう者の三友あり。直なるを友とし、諒なるを友とし、多聞なるものを友とするのは益するなり。便辟なるを友とし、善柔なるを友とし、便佞なるを友とするのは損なり。(「李氏第十六」4)

(現代語訳 論語 加地伸行

自分にとって有益な三種の友がある。有害となる三種の友がある。
まっすぐな友、義理固い友、博識の友、これは有益である。しかし、追従する友、裏表のある友、口先の巧みな友、これは有害である。

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子曰く、忠信を主として、己を如かざる者を友とする毋れ(なかれ)。過ちては則ち改むるに憚ること勿れ。

(「子罕第九」25) 「学而第一」8に同じ  

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 私のノートにはカリスマ経営者と言われたリー・アイアコッカ氏の語録が書き残してある。 

心をひとつにして働けるチームが勝つ

教訓は辛い経験を通して学べる

リーダーたる者は、誰が真の友かを知っていなければならない。

真の友とは、なんでも無条件で賛成したり、言いなりになったりする人とはかぎらない。本物の友情は、対等であるべきだ。順調な時も、苦境の時も友情を持ち続け、尊敬しあえる間柄でなければならない

時によって、相手が正しいと率直に認めることは決して弱さではない

(リー・アイアコッカ なぜ真のリーダーがいないのか)

  

どこか論語のことばたちに通ずるものがあると感じる。

「経営とはふさわしい人材を選ぶこと。そして、優先順位をまちがえないこと。」 

経営という言葉を、人生に置き換えることはできるのではなかろうか。「友の選択」はとても大切なことなのだろう。 

 

 一方、害ある友もいる。昔も今も害ある友の定義は変わらない。

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 世の中には、こんな人もいる。私も経験したことなのでよくわかる。 

 

 

 アサヒビールの元経営者であった樋口廣太郎さん。どん底にあったアサヒビールを「スーパードライ」で日本No.1のビール会社に成長させた。彼の著作『つきあい好きが道を開く』という本がある。

 この本の中で、日本の名経営者と言われる稲盛和夫さんのことが触れられる。稲盛さんはJリーグ京都パープルサンガの設立にも関わり、そのときのエピソードから、『みんなの意見聞きながら、一つの方向にまとめ上げ、仲間を作っていくことに関しては、稲盛さんは達人ではないでしょうか』と紹介する。

 稲盛さんの教えは論語と共通すると言われている。もしかしたら、「吾 日に吾が身を三省す」を実践され、仲間づくりしていたのかもしれない。 

 樋口さんの若き時代の上司であった堀田庄三さん(住友銀行元頭取)のこともこの本の中で書かれている。

 堀田さんから『目立ち過ぎる』と注意されたことがあったそうで、そのときに『知に溺れるな』という言葉を教わり座右の銘としたとのことです。樋口さんの言葉を借りれば、『自分の能力を磨き、それに自負を持つ一方、そのちっぽけさを知り、人や社会への感謝も忘れるな』ということのようです。エリートが陥りがちな独善を自ら戒めていた真の財界人であった堀田さん。樋口さんも影響を受け、成長しながら交遊を拡げていったということでしょうか。

 樋口さんの交友の広さを感じることができます。非常に読みやすく、心に刺さる言葉が散りばめられています。   

 

 

 

 曾子が単に知的反省をしているのではなく、我が身を省みるといったときの「身」という語の重みが感じられる。三つの反省も抽象理論としてあげつらっているのではなく、血肉としての自分の全身体をかけての行ないを考えているのであると桑原はいう。

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曾子」、姓は曾、名は参。親孝行で有名だという。孔子より46歳年少で門下の年少グループに属したが、孔子の死後やがてその学団の長となって、儒教の正統を伝えた人といわれる。曾子から子思(しし:孔子の孫)へ、さらに性善説孟子へと伝わったといわれる。

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 仁斎がこの章の三箇条の反省をすべて他人との関係において発想されていることを指摘したのは見事であると桑原はいう。

 原始儒教の精神は、独善的観念論の冥想ではなく、常に人間が社会内存在として連帯性を重んずる実践であった。「論語」そのものが、一哲人の孤独の独言ではなく、対話から成立していることが、その消息を示しているといえるであろうと桑原は指摘する。

 

(参考文献)

論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

 
論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

  • 作者:加地 伸行
  • 発売日: 2009/09/10
  • メディア: 文庫