子曰わく。忠信を主とし、己に如(し)かざる者を友とする毋(なか)れ。過ちては則ち改むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ。(「子罕第九」25)
(解説)
「まごころを核としてて、自分と異なり、まごころの足りないものを友人とするな。もし自分に過失があれば、まごころに従ってすぐにも改めることだ。」(論語 加地伸行)
加地の補足
「己に如かざる者」をの「自分より劣った者」という一般論ではなくて、「自分のようにまごころ第一とすることがわからない者」と解した。
「学而第一」8に同じ文がある。
その章で、 桑原はこう解説した。
「忠」とはまごころ、「信」は約束を違えぬこと。
「忠信」とはそうしたよい性質をもつ人間を指す。
まごころがあって嘘をつかない人と馴れ親しんで、自分より劣る者を友人とするな。過ちをおかしたならば、素直に改心して改めるべきである。こだわってはならない。
「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」
「過ち一般についての訓戒であって、孔子はいい損なった場合には「前言は之れに戯るる耳」「陽貨第十七」4 といいえた人である。陰湿なこだわりのまったく感じられないのが、孔子の立派さであって、ミスはミスとして素直に改めよという、これはきわめて有益な、効率の高い実践的教訓としている。これも上位者は威厳を守るために、おのれのミスを認めまた改めることを嫌う傾向が強いから、適切な訓戒と言える。」
(参考文献)