豊かさや幸福を願うのは人として共通なことなのでしょう。他人や他国と比較することはないのかもしれませんが、やはり国際ランキングがあると気になるものです。兎角、となりの芝生は青く見えてしまうのでしょうけれども。
「少子高齢化へ向かう人口動態が成長の余力を削ぎ、富は社会の隅々に届きにくくなった」。
もはや当たり前のように低空飛行を続ける経済、新型コロナウイルス禍、拭えない格差や不平等ー。
私たちはかつてなく満たされない時代を生きているのかもしれない。失われつつある物心の豊かさを取り戻すことはできるのか。(出所:日本経済新聞)
何も自ら卑下することもなろうかと思うですが、どうなのでしょうか。これではいつまでたっても幸福度の向上はありそうにもありません。
幸福度、世界40位
30年にわたる経済低迷にあえぐ日本、世界3位の経済大国でありながら、人々の充足感は乏しく、日本の幸福度は世界40位に低迷しているといいます。
賃金が上がれば消費が喚起され、企業業績が伸びて賃金も増える。結果、経済の規模が大きくなるのが経済成長の基本的なサイクルだ。しかし過去20年を見ても日本は成長の循環から遠ざかっている。(出所:日本経済新聞)
いささか聞き飽きたように感じます。こうした成長の循環が生まれないのは「生産性の低さ」と記事は指摘します。
効率性の追求をないがしろにして、要領よく成長軌道に戻ることを夢見た「つけ」なのでしょうか。知性を違う方向に使ったのかもしれません。努力が報われずに、労苦になれば、そこに幸福は生まれないのでしょう。
ただ記事データを眺めると、経済成長率や賃金の伸びと幸福度には関係性がないようにも見えます。
幸福度と他者への信頼度
幸福度の上位常連は北欧の国々です。フィンランド、デンマーク、スウェーデンなどなど。ドイツも上位に食い込んでいるようです。
データを観察してみれば、社会の腐敗度が低く、治安が比較的良く、他者への信頼度が高いようです。
一方、日本では他者への信頼度が低く、別の宗教、外国籍の人のことはもとより、初対面の人も信頼しない傾向が他国より強いようです。また、日本の社会の腐敗度は、世界平均より悪く、幸福度の高い国々と大きな開きがあるようです。社会の規範や規律が疎んじられているということなのでしょうか。
論語の教え
「千乗の国を道くには、事を敬して信、用を節して人を愛し、民を使うに時を以てす」と、「学而第一」5にあります。
豊かな国に導くには、事は丁寧に扱い、人民を欺くことなく、公の金品は節約に心がけ、人々の心を豊かにし、人民を労役に就かせるのではあれば、農閑期にする」との意味です。
こうした教えを聞けば、そうだよなと思いつつもなかなか実践できないのが人というものかもしれません。しかし、国民が幸福度を感じる国があるというのだから、こうした教えができているということなのでしょうか。
豊かな国とは、物が潤沢にあるということだけではなく、モラルある国ということなのでしょうか。
孔子は、人の守るべき道の中で最も重きを「信」に置いたといわれます。
「人として信無くんば、其の可なるを知らざるなり。大車 輗無く、小車 軏無くんば、其れ何を以て之を行らんや」と、「為政第二」22にあります。
「人に「信」が無ければ、如何に才智があっても、如何に技量があっても、安全な世渡りはできない」との教えだと渋沢栄一が言います。
「信」は人の行いにとって扇の要の如きものである。信無くしては、如何なる事業にある人も、如何なる職務にある人も世に立って行けるものでない。(渋沢栄一)
他者を信頼できなくなってしまったことが、もしかしたら日本の最大の弱点なのかもしれません。信頼がないから幸福を感じず、まだ、信頼がないから企業活動が活発にならず、経済成長もないのかもしれません。
他者を信頼できれば、それが幸福を認識して理解することにつながっていくということなのかもしれません。そのためには他者を理解することから始まるのかもしれません。