「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

情報革命の資本家孫正義氏と渋沢栄一、二人に違いはあるか ~ 炉辺閑話 #82

 今年度内にGDP国内総生産がコロナ前の水準に戻る予測があるといいます。 民間エコノミスト36人の予測を公益社団法人日本経済研究センター」がまとめたところ、実質成長率が、今年度でプラス2.72%、4月からの新年度ではプラス3.03%となったといいます。「リベンジ消費」による押し上げ効果が主な要因のようです。

 コロナという外乱で落ち込んだ経済が自然に回復に向かうということでなのでしょうか。 予測があたるようであれば、もう声高に経済成長、経済成長と叫ぶこと必要ないのではないでしょう。それよりは、いかに持続的な成長軌道に移行できる転換できるか、それが問われていそうな気がします。  

 

情報革命の資本家

 人工知能(AI)のユニコーン群をつくり、人類の未来をつくるとしたソフトバンク・ビジョン・ファンドを運営する孫正義氏。昨年の株主総会では、「情報革命の資本家になる」と話されていました。

 ビジョン・ファンド創設から5年、まだその道のりは1合目にすぎないと孫氏はいいます。孫氏が目指す世界の片鱗すらまだ示すことできていないということなのでしょうか。

 孫氏の言葉と今までの結果から、色々と推測したりもします。WeWorkが躓き、中国アリババの創業者ジャックマーが中国当局の締め付けに合い苦境に陥り、孫氏の先を見る目を疑ったりもしました。それはたんなるやっかみだったのかもしれないと感じたりもします。

孫正義氏インタビュー「未来をつくるため、いかがわしくあり続ける」:日経ビジネス電子版

 投資家と資本家は決定的に違うと孫氏はいいます。投資家は、いかに安く買って高く売るかを考え、一方、資本家はお金ではなくて未来をつくることが正義といいます。

ジェームズ・ワットやトーマス・エジソンヘンリー・フォードなどの発明家、起業家が産業革命をけん引しましたが、彼らとビジョンを共有しリスクを取ったロスチャイルドのような資本家がいた。日本でも幕末や明治維新のころは三井や三菱、渋沢栄一などの資本家が新しい会社をどんどん興していきました。

そうして両輪で未来をつくりにいった結果、人類に有益な結果を生み出したんだろうと思うんです。AI革命の担い手である起業家、発明家とビジョンを共有して、人類の未来をつくりたい。それが我々のゴールであり正義なんです。(出所:日経ビジネス

 さらに孫氏は、「誤解を恐れずに言えば、我々は若者や起業家に「いかがわしくあれ」と言っているぐらいなんです」といいます。

「世の中が「立派な会社だ、安心な会社だ」と思うころには、成長しない成熟した会社になってしまう。 ですからまだまだ僕も、いかがわしくありたいと思っているんですよね」といい、あのビートルズを例にして、「僕らが子供のときはビートルズの音楽を聴いただけで不良と言われたでしょう。今やビートルズは音楽の教科書に載っています」と説明し、「新しい時代の息吹を批判したり避けて通ろうとしたりしてはいけない」といいます。

 

 

渋沢栄一孫正義

 孫氏の口から渋沢栄一の名が出てくることに意外と感じつつも、もしかしたら、孫氏も若き頃の栄一と近いものがあるのかもしれません。

「吾 未だ剛者を見ず。或ひと対えて曰く、申棖(しんとう)と。子曰く、棖や欲あり、焉んぞ剛たるを得ん」と、論語「公冶長第五」11にあります。

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 孫氏を見ていると、この章にある剛者「申棖」が連想します。

 孔子は申棖は欲が深く、誘惑に負けるだろうから「剛」といわないといっています。

 その「剛」と「強」の違いを渋沢栄一が解説します。

俗に「強慾」と申す語のあるほどで、慾には如何にも強い所があるようにも考えられるが、決してそうで無い。孔子がこの章句に説かれた「剛」の字は「強」の字と、その意を異にし、義しい観念の上に立って踏ん張る時の勇気を指したもので、「剛毅」といふ熟字を作るに用いられる「剛」と同じ意味の「剛」である。(出所:「実験論語処世談」 渋沢栄一記念財団

 こう聞くと、剛者になれず、孫氏はまだただの強者なのかもしれない。逆に言えば、若かりし頃の栄一も孫氏同様、まだ学びし「強者」だったのかもしれません。

 

 

論語の教え

「不仁者は以て久しく約に処(お)らしむ可からず。以て長く楽に処らしむ可からず。仁者は仁に安んじ、知者は仁を利す」と、「里仁第四」2にあります。

 不仁者に貧しい生活を長くさせてはいけない、また、豊かな生活を長く続けさせてはいけない。仁者は自分の境地のままに生き、知者は仁、己の境地を社会に活かすとの意味です。

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 今の孫氏は仁者に至れず、まだ欲を残した知者として「己の境地」を社会に活かそうとしているのかもしれません。ただこの先、どのように変化するかはわかりません。

 かつての栄一がそうであったように。栄一も歳を重ねるごとに仁者に近づいていったのかもしれません。

 晩年の栄一のような仁者と知者である孫氏の両輪がそろえば、健全な持続的な経済成長もありそうな気がします。知者ばかりになってしまうと、その後に強欲者ばかりが育ってしまわないでしょうか。仁者が求められていそうです。