「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

善き社会を求める将来世代、「共通善」を見いだせない世代 ~ 炉辺閑話 #81

 平穏無事のありがたみをつくづく感じるようになりました。コロナ禍の影響もあるのでしょう。そうは思えど、何事も社会が平穏無事ということは稀で、この平穏無事こそが人類が常に希求すべきものだとも思います。

 みながそれを願うようになれば、そこに問題が生じます。その問題を解決することが常に求められ、そこに人として生きる道があるということなのでしょうか。

 かつて孔子は、「吾 十有五にして学に志す。三十にして立つ」といいました。

 不遇な少年であった孔子が十五にして、意識的に学ぶことの必要性を強く感じ決意したそうです。しかし、その不遇な状況は改善されず、ようやく三十にして自立できたといいます。

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 それまでに孔子は様々な職業をついたといわれ、様々な経験したのでしょう。その経験を通し学んだ知識をようやく社会に役立てることができるようになったということでしょうか。

 

 

 孔子が生きたのは今から2500年も前のことです。今と比べ知識の集積が薄かった時代に、学ぶことにもたいへん苦労があったのではないでしょうか。

「詩三百、一言以て之を蔽(おお)えば、曰く、思い邪(よこしま)無し」(「為政第二」2)

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 社会を観察し、深く洞察することで新たな発見があり、それを記していったりしたのでしょうか。

学に志す

 ユーグレナ社の前にCFO(Chief Future Officer、最高未来責任者)だった小澤杏子さんが昨年11月、丸井グループの「最年少アドバイザー」となったそうです。

将来世代の一員としてよりよい社会づくりに挑戦 | 日経ESG

丸井グループの中でも将来世代の一員として、次にバトンを繋げるために社会で何に取り組んでいく必要があるのか、何を変えていかなければならないのか模索し続けていきたい」と述べ、「この新しい環境の中でも必ず何かをより善くできるように今まで以上に大学外での勉強や経験を積んでいきたい」と語っています。

 孔子のことばに従えば、まさに「十有五にして学に志す」というところでしょうか。

 

 

 一方、三十にして自立した孔子は、四十になると「不惑」、自信を得てのことでしょうか、もう惑うこともなくなったといい、五十にして天命を知り、六十にして耳が順(したが)うようになり、七十にもなると、心の欲する所を従いて矩を踰えずといいます(「為政第二」4)。

 文学者桑原武夫は、「五十にして天命を知る」とは、自分がこの世で完遂すべき使命を自覚し、六十になると、自分と異なる意見や思想を聞いても、それが素直に耳に入り、反撥しなくなることといいます。さらに七十にもなれば、意識的反省なくして、自分のしたい通りに振舞っても、節度を失うようなことがないことだと解説しています。

 しかし、現代の政治の世界においてはこの言葉は通用しないのでしょうか。

 79歳になったバイデン米大統領は米中対立を収束させるどころか、かえって悪化させているようです。まだまだ私欲が強いのでしょうか。一方、69歳の中国習主席も対立を望まずに、七十に近いのだから節度を保って欲しいと思います。世界からの批判に寛容になる度量があっていいのかもしれません。

 聞き上手といった岸田首相が64歳であることからすれば、人の話を反撥せずに聞けるのもごく自然なことで、逆に67歳になっても、いまだに相手の意見に反撥し、相手が嫌がるようなことを平気で述べる安倍元首相は人格的にはまだまだなのかもしれません。

天命を知る

「分断」だの「対立」という言葉を頻繁に聞くようになっています。昨今の情勢はまた30年前に逆戻りし、イデオロギー対立再びとなりそうです。歴史は繰り返すのか、それとも、これまでの歴史をアップデートできるのか問われているような気がします。

 どちらかに組することなく、地球的な課題となっているコロナ禍や気候変動の問題を「共通善」とすることへ筋道をつけることが求められていないでしょうか。それによって、未来を次の世代に引き継ぐことができるようにならないでしょうか。それが常に先行く世代の役割、天から与えられた使命のように思えてなりません。