経済産業省の若手キャリア職員が、新型コロナ対策のひとつであった「家賃支援給付金」制度を悪用、実体のない会社を使ってうその申請を行い、およそ550万円をだまし取ったとして詐欺の疑いで逮捕されたといいます。若手官僚の不祥事、事件にショックを受けます。
どうして、こうもまた官僚の不祥事が続くのでしょうか。
今回の事件では、逮捕される前に警察の捜査を察知し、証拠隠滅を図った可能性があるといいます。先日見つかった赤木ファイルのことが思い出されます。省庁を問わず、同じような愚かな行為を繰り返すことに、ただただ驚くばかりです。
季康子 盗を患う
「季康子(きこうし) 盗(とう)を患う。孔子に問う。孔子対(こた)えて曰わく、苟(いやし)くも子の欲せざれば、之を賞すと雖(いえど)も竊(ぬす)まざらん」との言葉があります(「顔淵第十二」18)。
魯国の実質的支配者で、宰相(首相のこと)であった季康子が盗みが多いのを患えて孔子にその対策を質問しました。
すると、孔子は「あなたが不欲であれば、たとい盗みを賞(ほ)めても、誰も盗みなどすまい」と答えたそうです。
その季康子が、孔子に「政」を問う問答があります。
「政とは正(せい)なり。子 帥(ひき)いるに正を以てすれば、孰(たれ)か敢(あ)えて正しからざらん」(「顔淵第十二」17)
「政の意味は正であります。あなたが正理をもって諸臣を率いるならば、誰も不正のままでありましょうや」と答えます。
この二つの教えからすれば、国のリーダーの日常の無意識な行動がそのまま官僚や国民の行為に影響するということなのでしょうか。
ここ近年、宰相(首相)の身の回りで正理に反することが多く見受けられます。そして、官僚たちの愚かな行動を繰り返し見ています。
あの指導者たちあって、この結果ということなのかもしれません。不正の連鎖なのでしょうか。
為政者には「正」であってもらいたいものです。そうであれば、忖度も不要なのかもしれません。
善を挙げて不能を教うれば、則ち勧めしめん
その季康子は孔子に「民をして敬、忠にして以て勧めしむには、之を如何せん」と、質問をします。
すると孔子は、「之に臨むに荘(そう)を以てすれば、則(すなわ)ち敬せん。孝慈(こうじ)もてすれば、則ち忠ならん。善を挙げて不能を教うれば、則ち勧めしめん」と答えます(「為政第二」20)。
「人民が尊敬しまごころを持ち、そして道徳的になる、そういうふうにさせたいのだが、どうすればよいのか」との季康子の質問に孔子は、
「人民の前では、厳かにすることです。そうすれば民は尊敬します。孝を実践し、民を慈しむことです。そうなれば、民はまごころを尽くします。善人を登用し、不善者に教えることです。そうあれば、善行をするようになります」と答えます。
季康子がどこぞの政治家に見えてしまいますが.....
「善を挙げて不能を教うれば、則ち勧めしめん」、孔子の言葉を重く感じます。
宰相に指名された大臣たちが、「不正」で辞任することが続いています。
これでは、官僚ばかりでなく、社会に不善が蔓延っても仕方がないのかもしれません。
人の生くるや、直たれ
「人の生くるや、直たれ。之 罔(な)くして生くるは、幸いにして免(まぬか)るるのみ」といいます(「雍也第六」 19)。
桑原武夫はこの章の意味を「不正直なやつは本来殺されても仕方がないのだが、僥倖でお目こぼしにあずかっているだけだ」と解説します。少々過激な文言にも聞こえます。
人間の生きていくのは本来まっすぐなものである。蘇東坡(そとうば)のいうように、木が曲るのはおさえるものがあるからである、おさえなければまっすぐに成長しない木はない、人間もまた同じだ、ということであろう。
ところが、現実には曲った、つまり邪まなことをして生きている人間がいる。
これは本来、刑罰をうけて死ぬべきはずなのだが、偶然にあるいは僥倖によって生きているだけのことである。「免」という字は、きわめて強く「刑戮を免れる」という意味だと徂徠はいう。 (引用:「論語」桑原武夫)
「人間は生きてゆくとき正直であれ。それがなくて生きたとすれば、それは幸運にも失敗を免れただけのことだ」と加地伸行はもう少し柔らかに解説します。
見つからなければ、不正でも何をやっても構わないと邪まな考えで生きていけるのは、たまたま偶然なこと。
見つからないなら、つい人はそう考えるときがあるかもしれません。気をつけたいです。
小人 勇有りて義無くんば、盗を為す
「君子も勇有りて義無くんば、乱を為す。小人 勇有りて義無くんば、盗を為す」といいます(「陽貨第十七」20)。
君子もただ度胸があるだけで大義がなければ、反逆者となる。小人 知識人もまた同じこと。盗をするだけのことだとの意味です。
孔子は大義の重要性を説きます。大義をもって仕事に携われば、報酬を得ることはできます。不正をしてまで金銭を得るような行為は如何なものでしょうか。
君子も勇有りて義無くんば、乱を為す。小人 勇有りて義無くんば、盗を為す
ここ数年、霞が関、国会の場で乱が続ているように思います。為政者(君子)、そして官僚(小人)には肝に銘じてもらいたい言葉です。
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「参考文献」